カテゴリ:文芸部

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その24

◆『身代わり姫と傀儡王』番外編◆

 せせらぎ189号掲載『身代わり姫と傀儡王』の、公爵が主人公に身代わりの許可を出す場面と、ヴィッツェル王家の行く末です。ネタバレだらけなので、本編をお読みでない方は、ぜひ部誌のデジタル版を先にご覧ください。

〈身代わり姫が身代わり姫になるまで〉
 朝の身支度が終わるなり、エリーシアは私の手を引くと邸の客室に飛び込んだ。そこには準備の最後の仕上げのために一家全員が揃っており、「遅かったじゃないの」と眉を下げる母親に向かって彼女は叫んだのだ。
「わたくし、どうしても向こうで穏便にやっていける気がいたしませんの。アンヌに行ってもらうことはできませんか!」と。
 時が止まった。凍りついた空気の中でエリーシアの母が初めに口を開き、
「あなた、この期に及んで何を――」
 と云いかけたが、公爵はそれを手で制するなり、私をきっと睨めつけた。
「……ふむ、よかろう」
 失神しそうになって私に抱き留められる公爵夫人(このとき私は頭が真っ白になっても身体は咄嗟に動かせることを学んだ)、両手をつなぎ合って喜びの余りくるくる踊り始める姉妹、再び私を穴があくほど睨んでから「よし」と呟いて部屋から出ていく公爵。すべてがめちゃくちゃだ。どこが「よし」なのか。何もよくない。
  

〈後日譚・史記は語る(八章相当)〉
『ヴィッツェル王国史』第二十一章は、次のような文言で始まっている。
「第二十一代国王・フリーデリケ一世。王国史上初の女王にして、革命の動乱を鎮めながら王政の瓦解をも防いだ賢君。即位の十六年前に勃発した革命から身を守るためシエルージュに亡命、現地で培った語学力と文化への理解は優れた外交の手腕として発揮された」
 だが、その「亡命」の終わりがこんな身代わり結婚劇だったことを知る者は、今やシエルージュのシャンデル公爵家と、我がヴィッツェル王家に連なる者だけだろう。
 フリーデリケは七十二歳で天に召されるまで、公私に渡って国のために尽くし続けた女王だった。宰相家の横領と謀反の証拠をしっかり押さえて取り潰し、王政を取り戻し、その権力を濫用することなく民のことを第一に考えて行動した。没後、王位は長年支え合った王弟ルドルフに再び渡るはずだったが、祖父はこれを辞退し、彼とエリーシア妃との間に生まれた長女フリーデリケが戴冠式に臨んだ。それももう、三十年近くも前のこと。今日の新年祝賀会では、そのフリーデリケ二世が年内の譲位を宣言する。次に王冠を戴くのは彼女の長男……自分だ。
「大伯母上、貴女が愛し守り抜いた国を、無事に次の世代へ繋ぐことを誓います」
 軽やかなワルツが流れる宮殿――グルーフト(独語で「納骨堂」)城は偉大な姉弟の功績を讃えフリーデルフ城と改名された――の大広間で、誰にも聞かれないよう声を抑え、かの女王の肖像画を見つめながら呟いた。〈終〉

 

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その22

 梅雨入りをして、初めての豪雨。今家に帰ろうとすると、きっと後悔の残る結果になってしまうので、近くにある市立の図書館へ雨宿りをすることにした。
 図書館の中は冷房が効いていて、雨音だけが響いている。重たい荷物を下ろし、数学の参考書を開く。少しサボっていたこともあって、授業になかなかついていくことが難しくなっていたので、この状況はちょうどよかった。お気に入りのシャーペンを筆箱から取り出し、取り掛かる。古い本の独特の香りが不思議と集中力を高めてくれて、時間を忘れさせる。
 雨音が少し弱まり、優しい西日が差し込んでいることに気づいたころには、とっくに一時間が過ぎていた。そんなに長居をする気はなかったのに、同じ場所に居座り続けてしまったことに少し落胆しながらも、図書館を後にして最寄り駅まで歩き始めた。長い田舎道は雨で濡れたアスファルトの香りが立ち込めている。さっきよりも明るさを増した西日が道路に強く反射する。雨が降っていたとは思えないほど空気は暑くて、夏であることを感じさせる。
 図書館の最寄り駅から家の最寄り駅まで揺られ、約三十分。ようやく家に着いた。最近日が伸びてきたこともあってまだ少し空はオレンジ色に染まっていた。コンクリート壁にくっついたナメクジが地面に落ちたところで鍵を開けて家に入った。
 家の中は熱気がこもっていて、リュックを下ろすことを忘れて窓を思いきり開けた。さっきまでいた外の空気が予想以上に気持ちよく感じる。部屋の中が涼しくなった後、冷蔵庫にあったオレンジジュースをコップに注ぎ飲み干す。オレンジの清涼感が嗅覚や味覚を刺激する。ベッドに横になり枕元に置いてあった小説に手を伸ばし、それを読み始めた。やらなくてはいけないものはきっとある。だけどこの微妙な涼しさが私を駄目にしていく。
 ややあって、気が付いたころには小説が閉じられていて外は真っ暗になっていた。「お腹がすいた。」そう思い、自室からキッチンへ一直線に向かっていった。

 

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その21

隣の家にいたツバメが飛び立ったらしい。朝ご飯を食べていると、朝の散歩から帰ってきた母が教えてくれた。母は、ヘビが来ないか、カラスが悪戯をしないか、ちょくちょく心配していたので、とても嬉しそうだ。そんな話をしているうちに、学校へ行く時間の十分前になり、慌てて残りのパンを口に突っ込む。急いで準備をして、家を出発した。

「いってきまーす」

六月の朝六時過ぎだというのに、日差しはハワイのそれと同じようなものだ。それでも、昨日、夕立があったおかげか、風が少し吹いていて、ここ二、三日の中では一番涼しく感じられる。自転車を立ち漕ぎして、最寄り駅までの坂道を登っていく。五分も漕いでいると段々肌がべたついてきて、不愉快だ。

チュン チュン

朝の、暑いがそれでも澄んでいる空気に高い、高い鳴き声が響いた。減速をして、空を見上げると、小さい鳥が、十羽程だろうか、不慣れな様子で一生懸命飛んでいる。グッと目を凝らしてみると、それはツバメのヒナだとわかった。そこに一緒になって、スズメの小さいのも飛んでいる。また二羽その輪に加わった。どこから来たのかと見ると、道沿にある小学校の体育館の壁に小さいでっぱりを見つけた。最近、ゴミを漁るカラスや、駅で落ちているものを食べるハトなんかは、よく見かけるが、それ以外の鳥はというと、ほとんど見ない。楽しそうなツバメの様子を見ていると、自然と笑顔になっていた。母がツバメをかわいい、かわいい、と言う気持ちに確かに納得だ。自分でもわかるくらい上機嫌で、鼻歌を歌いながら、駅への坂道を登っていく。

 

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その20

◆『せせらぎ』188号合評◆
発行したのは2025年1月31日でした。2月にはいると学年末試験やら高校入試やらでいそがしく、3月には卒業式で3年生の先輩たちとお別れし、なんだかんだで春休み。なにをいいたいのかというと、『せせらぎ』は発行はしたものの合評をする機会がなかったという言い訳です。そうこうするうちに189号発行のために原稿をしあげる時期になってしまうので、われわれは重い腰をあげて、5月2日金曜日の放課後図書室に集まりました。新入部員にも参加してもらい、総勢7名のにぎやかな会になりました。じぶんでいうのもなんですが、太女文芸部の作品は個性的なものばかりです。発想にしても表現方法にしても独自な世界をつくりあげています。おたがいの作品を評価しながら、じぶんには足りないものに気づけたよい時間でした。以下、「わたし」がそのようすをまとめたものを掲載します。じっさいの作品は「文芸少女折下ふみかの冒険」その14で公開しています。ぜひおよみください。

「ひとりになりたい池井君」
A クラスで孤立しているようにみえる「池井君」に興味本位で話しかける女子高生「私」の顚末を描いた作品。
B「私」のJKぶりがリアリティをもっているよね(まあ女子が書いてますから)。
C「背後にきゅうりを置かれた猫みたい」だとか「冷たい水を飲み込んだときのように」といった直喩が効果的です。
D「私」、「僕」といった登場人物の一人称が語りとして巧みに描き分けられているなかに、突如「背後で鳴った、空気のこすれる音は聞こえなかった」という第三者視点をおりこむ技がみごとです。
E ひとりぼっちであるような「池井君」がどうしてひとりになりたいのか、その結末がこわいけどほのぼのしちゃうのはなぜかしら?
F 全篇がコミカルなタッチだからじゃない?
G でも、閠ウ縺ョ荳ュ縺ォ逡ー蠖「縺後>繧九→縺?≧逋コ諠ウ縺後>縺?〒縺吶h縺ュ縲らァ?騾ク縺ァ縺吶?
A ネタばれ厳禁!

「記憶のカケラ」
B 余命宣告をうけている母親が娘のために残りの人生を強気に生きてゆこうと決意する話。
C「私」はその病気の症状として記憶に障害があるんですよね。そのせいで自分があとどれくらい生きられるのかも忘れている。
D この小説は「私」と娘とが「ブランデーケーキ」についてやりとりする午後のひとときを描くことで「私」だけが抱えるのではない記憶のはかなさにふれています。
E 記憶ははかないものだけど、だからこそその「カケラ」だけでも残るように人間関係を濃密にすることがだいじなんだなとおもいました。
F ひとは死んでもその記憶の中に生きられるはず。そのための「濃密さ」ってことね。
G ひとはだれでも死ぬけれど、その宿命を悲観するのではなく、死ぬまでを前向きに生きることで「私」は娘の記憶の中に断片的でもかまわないから生き続けようとつとめる。
A やがておとなになった娘は「ブランデーケーキ」を口に運ぶたびに母親を思い出すにちがいないですよね。
B まるで『失われた時を求めて』の「マドレーヌ」みたいね。

「お昼の給食」
C 小学5年生と3年生の息子をもつ母親が息子たちの会話をきっかけに給食を懐かしく思い出し、お昼にじぶんがすきだった給食を再現する話。
D 献立は「若鶏のマリネ」「ふわふわ卵のイタリアンスープ」「小松菜のサラダ」。どれもおいしそう。
E「幸子」が子どもころは学校に調理室があったという設定なんですよね。そんな時代もあったんですね。
F その献立を「幸子」が調理してゆくようすが克明に描かれてゆきます。
G 材料の分量が描けていれば完璧なレシピ小説ですよね。
A いまどきはレシピサイトやYouTubeなどで調理の手順が動画で紹介されていますけど、その小説版ですよね。
B オノマトペを一行書きにするくふうがいいと思いました。
C そうね。リズミカルな音がせまってきて臨場感がでているよね。
D 調理する「幸子」の高揚感も感じ取れるよね。できあがった「給食」を子どもにかえったようにおいしそうに食べる描写がとてもいい。おなかすきます。
E 日常のなかのささやかな非日常をへてふたたび日常(家事のつづき)にもどってゆく構成もよかった。

「幽霊城の籠り姫」
F 幽霊を見ることができる「エミリー」が幽霊屋敷に住み込んで幽霊の貴族令嬢「ソフィア」と仲良くなる話。
G 幽霊が骸骨という設定がおもしろい。というか、おもしろく読めちゃう。
A 全体的にゴシック・ロマンというよりは上品でコミカルなスラップスティックを描こうとしている気がします。
B ホラーじゃなくてサスペンスだよね。どうして彼らが幽霊として生きているのかとか、「百年の契約」とはなにかかとか、謎がたくさんちりばめられているもんね。
C すべてがうまく回収された長篇としての完全版をよみたくなります。
D「トルコ石の指輪」という小道具が神秘的な雰囲気をじょうずに演出していますね。
E 異国情緒というか異世界情緒というかがたくみに表現されているんだよね。

「ものがたり」
F 古本屋で「ある」古本をたどってゆくことで大学時代の先輩と後輩がめぐりあう話。
G 古本の個性的な「書き込み」が手がかりってところがドラマチックです。
A 本に感想とか書きこんじゃう人ってあまりいませんよね?
B わたしはするよ。おもいついてことをどんどんかいちゃう。
C じゃあ、あなたが「モデル」?
D 現実的かそうじゃないかじゃなく、その書き込みに後輩らしさがあって、むかしを懐かしんで惹かれてゆく心理がいいとおもう。
E 宝さがしめいていてわくわくするよね。「秘密の書籍」みたいでさ。
F まさにそれね。宝のありかを示しているのが持ち主の書き込みってところがロマンチック。
G 書物をめぐる書物の冒険だよね。

「彗星」
A 彗星を見るために高校の天文部の観察会に参加するふたりの高校一年生の話。
B とにかく高校生活がたのしそうにえがかれていていい。
C 男子も女子もいる共学校のリアルがある気がしました。描写も会話もとても自然でのめり込めます。
D とかく「文芸部」を舞台にしがちだけれど「天文部」にしているあたり心憎いですね。
E へんてこな恋愛関係ではなく、部活をたのしむまっとうな交友関係を描いているところに好感が持てます。
F ただ彗星がみたかったふたりの男子高校生がその体験をとおして、天文部員になるという展開がよくできていると思いました。
G「金木犀が甘く香る季節、放課後の西日が照らす教室に二人の影があった」という冒頭の一文がとてつもなくブンガク的です。
A「『天文部へようこそ』」という結びの一文が物語をとてもじょうずに締めくくっているよね。

「柳のところの幽霊さん」
B 自分にとりついた幽霊から逃れたい「栁」という少女とじつはその少女が大けがしないように監視している幽霊のすれ違いドラマ。
C 作者によるとアンジャッシュのすれ違いコントがヒントになっているそうで。
D 幽霊が自分の二の舞にならないように「柳」を見張っているのに、その幽霊を怖がっていてなんとか逃れようとする設定がおもしろいですよね。
E 幽霊が親切にすればするほど「柳」は恐怖のどん底に陥っちゃうわけですよね。
F だからといって幽霊が彼女を見捨てれば彼女は死んでしまうかもしれない。
G その組み立てをとてもじょうずに説明しているのがQ&Aの構造ですね。
A「私は、どうしたら助かりますか?」
B「何もしないでください」
C 絶妙な掛け合いですよね。

*「俳句」は太田高校文芸部との冬の合同句会のときにつくったもの、「短歌」は群馬県総合文化祭文芸部門の交流会のときにつくったものです。
*「受かれメロス」は予餞会の出し物を4コマ漫画風にアレンジしたものです。
*「りぶろういるす」は顧問創作のため割愛しました。

 

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その19

ある日の、嬉しいことがいっぱいあった帰り道のことを話そうと思います。まず、学校から駅までの歩き道です。道沿いの家で白と黒のまだら模様の猫を飼っている家があります。その家は風除室があって、そこに椅子が1脚あるんです。朝はたまに猫がそこで寝ていることがあるのすが、放課後通りかかるときは今まで一度も猫の姿を見たことがありません。でも、その日は放課後にも関わらず、猫が椅子の上に座っていました。そのとき、猫は起きていて、私が手を振るとそれに反応したかのように目をギュッと細めました。かわいくて、かわいくて、少し立ち止まってしまいました。その気持ちでルンルン歩いていると、いつもは、発車時刻ギリギリに駅に着くのに、発車5分前くらいには駅に着きました。時間に余裕があるっていいなって感じますね。次に、電車の中でのことです。いつもはかなり混んでいる時間帯の電車なんですが、その日はいつもより空いていて、座ることができました。ぼーっとしながら乗っていると、電車の向きが少しかわったとき、オレンジ色の光が私の顔に当たりました。普段は向かいの椅子にも人がいるので、外の景色は見えないのですが、その日は空いていたため椅子の端にしか人がいなくて、外の景色が見えました。大きく赤い夕陽がきれいで、小さく黒いカラスも見えました。今は春と夏の間くらいではありますが、この前授業で習った枕草子の冒頭の「秋は夕暮れ」を思い出して、なんだか嬉しくなりました。そしてゆらりゆらり電車に乗って、地元の駅に到着です。そこから家まで自転車で帰ります。家の近くまできたとき、自転車で乗っている3人の外国人に「コンバンハー」と明るく声をかけられました。私は少しびっくりして、反応が遅れて、自転車同士ですれ違った後、後ろを振り返って「こんばんは」と言い返しました。その人たちとは、ほぼ毎日同じ時間くらいにすれ違いますが、今まで挨拶をしたことはありませんでした。毎日すれ違うから、相手も覚えてくれたんだかわからないのですが、やっぱり挨拶をされると暖かい気持ちになりますね。笑顔で家に帰ったら、母に「なんかいいことでもあった?」と聞かれて、その日の夕食時に帰り道のことを少し誇張しながら話しました。

 

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その18

  疲れた。本が読みたい。
 目の前には、私が目を通すべき書き物が大量に積んである。予習しなくてはいけない教科書たち。復習を始めなくてはいけない問題集たち。
 でも、違う。どれも私が読みたい文字ではない。
 確かに、国語の教科書には物語が載っている。古典作品だって平たく言えば物語であることが多いだろう。
 窓から差し込む夕暮れ色の光が、我が家のリビングを鮮やかな橙色に染め上げる。オレンジ色の陽光はまばゆいほどローテーブルを照らすが、ソファの横は黒ぐろとした影を落としている。
 私はその黒ぐろとしたソファの影に何冊かの教科書を投げ捨てた。そのままの勢いでソファの背もたれに沈み込む。
 国語の教科書はまだいい。現代文も古文も漢文も、物語がある。
 ただし、数学、化学、生物、物理。こいつらはダメだ。なんの物語もない。新発見に至るまでの道のりや研究歴史からは人々の辿った営みが垣間見えるかもしれないが、いったい教科書の何パーセントだというのだろう。疲れて鈍った頭では、文字の奥に見える人々の人生や、感情や、そんな文字の奥の風景に思いを巡らす余裕がない。
 もっと手っ取り早く、鮮烈な景色が見たい。白い紙に黒いインクが印刷されただけの存在にもかかわらず、現実以上に色彩にあふれた景色を映し出してくれる、そんな物語が読みたい。
 しかし、どんなに心から願ったとて、現状やらなければならないことが減るわけでもなく。目の前の課題の山が消えることもなく。重たいため息の数と過ぎ去った時間だけが増えていく。
 物語を読んでいる間だけは、この現実(課題の山)を忘れられる。別人の人生を歩むことができる。この人生が一度しかないものでも、物語を通して私は誰にでもなれるし、なんにでもなれる。いま私は別の(課題のない)人生を歩んでみたい気分だ。
 オレンジ色の夕陽は濃い赤色に変わって、電気のついていないリビングは薄青い闇が這いのぼるように薄暗くなってきた。
 そろそろこの物語に思いを馳せる(現実逃避の)時間も終わらせないといけないようだ。重力二割増しくらいの重さの体をどうにかソファから引き上げて、部屋の明かりをつける。パッと明るくなった部屋には、もう夕暮れの色は残っていない。
 蛍光灯の無機質な光は、教科書の無機質な文章をやたらと強調する。学校の授業だけで情報が飽和した頭はぼんやりと痛むが、それでも教科書に目を通さない理由にはならない。
 まだまだ溢れ出るため息を噛み殺しながら教科書の山に手を伸ばした。せめてもの抵抗に伸ばされた手は古典の教科書をつかむ。
 ページを開く。読む。匂いがする。ここじゃない場所の。花の匂い。月を見上げる夜の匂い。別れを告げる朝焼けの色が見えて、気がつけば見知らぬ世界に一人立っている。誰かを呼ぶ声。火花がぱちぱちと弾ける音。
 ガラガラと小さな滑車が回る音。は、と意識が戻る。玄関が開く音。母が帰ってきた。
「ただいま」
「……おかえり……」
 ここは? リビング。なにをしていた? 読んでいた。教科書を読んでいた。
「はあ……」
 体の中をぐるぐると巡っていた感情が呼吸にのって外に溢れていく。このため息は、今までとはまったく別物だった。
 母はこんな私の様子に慣れているからか、ちらりと私の方に目線を投げかけるだけで特に何も言わない。
 さすがは時代を超えて残った名作たち。読み始めれば、今も昔も変わらない人々の感情の移ろいが目の前に現れては消えていく。乗り始めた気分をそのままに、今度は現代文の教科書を手に取った。
 数学、化学、生物、物理の教科書たちは、ソファの横に落とされたままひっそりと、ただそこにあった。

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その17

◆新入生歓迎ハイクde俳句◆
5月10日土曜日に太女文芸部恒例の「新歓ハイキング」を実施しました。今年は太田高校の文芸部にも声をかけたところ、こころよく賛同してくれまして、初の「合同」ハイキングとなりました。新聞部も金山城址の取材をかねて参加することになり、総勢18名(太田8、太女文芸部6、太女新聞部4)の大所帯。おまけにせっかくなら山頂で句会をひらこうということになり標記のとおり「ハイクde俳句」という企画とあいなりました。ところが……です。「書を捨てよ、山に行こう!」という寺山バリの意気込みとは裏腹に、前日からの雨がやまず、天気予報では9:00ころにはあがりそうだったのですが、金山とはいえ「山」ですから、足元があぶないだろうということで、目的地を大光院に変更することになりました。ざんねんむねん! 9:20ころ、小降りの春雨をついて学校を出発。30分くらいかけてのんびり八瀬川をさかのぼり、大光院についたころには雨もやみ、「雨」というベタなお題の俳句をきもちよくひねることができました。

   

学校にもどってから小会議室でお弁当をたべ、11:20ころから句会をひらきました。本来なら、各自の俳句に投票してその得票数を競うのですが、今回は平安時代の歌合わせよろしく、太田高校を先攻とし後攻の太女と交互にひとり一句ずつ発表する催しとしました。発表者はじぶんの俳句を黒板に書き、創作の意図を語ります。それについてあれこれと発言しあい、「文芸ライヴ」としておおいに盛りあがる企画となりました。新聞部の生徒もふたり、自作の俳句を物おじせずに発表してくれました。どちらもすばらしいできばえで文芸部員も脱帽です。12:30ころにはすべての参加者が発表をおわり、「ハイクde俳句」は無事終了しました。金山に登れなかったのは残念でしたが、句会はとても有意義でした。来年は天候に恵まれて山頂での句会ができるとよいなと思います。

      

《参加者の俳句》
【太田高校文芸部】
 祝福と時雨れる行進神域へ
 憩いの場廃墟と醸す春雨や
 はだれ雨さも聞こえるはうぐいすと
 水落ち日牙城を思す腐れ木
 寺社巡りおかし嚙み締め梅雨を往く
 百余年蝉堕ちる日も雨ざらし
 五月雨に溺れる私は腹痛し
 五月雨と旅路共にす人の跡
 雲集い霧に霞んだ春の跡
 裏巡る雨盗る虹は眩しくて
 身は渇くされど実はふる皐月雨
 寝癖も寝冷えも何もかも湿った
 幽玄や滴り騒ぐパラドクス
 あと四つ武者よ参らん秋黴雨
 汗か? 雫かこれは拭えやしない
 五月雨でびしょ濡れになる遊具かな
 靴染みて冷たさ足に草を踏む
 呑龍の寂れた稚舎にさみだるる
 あめ紡ぐ萎びた花に飴降らす

【太田女子高校文芸部&新聞部】
アマリリス隠す滴は雨涙
青葉雨勿忘草の空の色
紫陽花と誰も知らない月時雨
雨 若葉を滑る 頬に触れる
五月雨は大光院の龍の雲
八瀬川沿い青草の上白玉光る
呑龍の如来濡らして初夏の風
五月雨や松を見据える大本堂
皐月雨露にて光る三つ葵
新緑の草木もしなる遊歩道
霧雨に囲われ咲ける菖蒲かな
濡れ若葉落ちる雫が映す寺
霧雨の新緑霞む大光院
夕立の待って降りたる蝉時雨
菖蒲葉をすべり落ちては雨となる
人も刻も巡りて二度はなき一日(ひとひ)


   

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その16

4月15日火曜日に賑賑しくも厳かに部結成がとりおこなわれました。喜ばしいことに今年度は4人の新入部員を迎えることができました! ぱちぱちぱち。これで太女文芸部は総勢8人となりました。これからも文芸少女として文芸に精進してまいります。これを機に太女文芸部の一年を紹介します。

 【2025年度の太女文芸部の活動予定】

  4月  部紹介でのショートコント披露(ブンガクのパロディ)

  5月  新歓ハイクde俳句 金山にのぼります! 山頂で句会をひらきます!

  7月 『せせらぎ』第189号発行
    太田高校文芸部との合同読書会&句会①
    群馬県高校生文学賞応募

 10月  高校生JOMO小説応募

 11月  群馬県高等学校総合文化祭参加

 12月  予餞会でのショートコント披露(ブンガクのパロディ)
         太田高校文芸部との合同読書会&句会②

  1月 『せせらぎ』190号発行

こうみるとわたしたちけっこう活発に活動してますね。この「冒険」も今年度は月に2回は更新したいとおもっています。ますますのご愛顧とご声援をよろしくおねがいします。

◆魔女と野獣、そして美女◆
野獣は森をさまよっていた。待っていたってやってくるもんじゃない。手にいれたければ行動あるのみだ、と気づくのに時間がかかりすぎたね。もうきょうが約束の日。きょうという日がおわるまでにそいつをじぶんのものにしなければ野獣は野獣としてじぶんの人生をおわるしかない。でも、と野獣はおもったりもする。野獣のままじゃいけないのか。野獣のままだってじつはなにもこまらない。そもそも人嫌いである。そいつがたたって野獣になってしまったおれだ。野獣になったことでひとからうとまれたっていたくもかゆくもない。だったらどうしておれは野獣であることをいやがるのか。それはおそらくじぶんがかつて野獣なんかでなかったという事実だろう。そんな事実にこだわるから、もとの姿に戻りたくてアクセクするんだ。でも、おれが野獣になってかわったことといえば、はっきりいってその外見だけだ。毛むくじゃらで筋骨隆隆たるからだ。牛だか獅子だかなんだかはっきりとはしないながら恐ろしさだけは満点の顔。あたまのりょうわきには角。両手には鈎爪。足には蹄。尻には尻尾。とことん醜いかもしれないけれど、うけいれてしまえばそれまでのことだ。でも、どういうわけか、こんな姿かたちになってから、野獣はじぶんが情けなくおもえてしかたないのだ。「山月記」という中島敦の傑作がある。李徴という小心者が虚勢をはりつづけて虎になってしまうはなしだ。李徴が虎になった自分を哀れむのは人間としての心があるからだ。野獣にはそもそも人間らしい心は微塵もなかったのだから野獣の心どおりの姿かたちになったってべつにどうでもよかったはずなのだ。でも、である。おれはやっぱり人間でこんな野獣になってしまってようやくその事実に気づかされたのだ。だから、やっぱり、できることなら、人間にもどりたい。
こりゃおぬし、ちょっとまたんか、と声をかけてきたのはチャコールグレイの薄汚れたマント姿の老婆である。なんだい、おれはいそがしいんだ。耳寄りのはなしがあるんだけどね。おれにとっての耳寄りな話ってのは真実の愛をてっとりばやく手にいれることしかないんだけど。おお、まさにうってつけだよ、おまえさん。まさか、ばあさんがおれの相手になろうってんじゃないだろうね、そいつはお断りだ、たとえそこに真実の愛があったっておれがうけいれられないよ。ふおふおふお、安心しなよ、あたしだっておまえさんみたいな野獣はおことわりだよ。ふん、おれだってなぁ、すきこのんで野獣やってんじゃないんだよ、いろいろ複雑な事情ってもんがあるんだよ、ほっといてくれ。いやいや、ほっとけないね、あんた、真実の愛がほしいんだろ? そうだけど。そいつを手に入れたら、あんた、もとの姿にもどれたりするんだろ? どうしてばあさんそんなこと知ってんだよ? よくある話じゃないか。よくあるの? よくあるよ、わがままな強欲ものがおちいる月並みな運命だよ。うるさいなぁ。でもさ、あたしがあんたのちからになってやるよ。どうやって? あそこに塔がたってるだろ? ああ、びっしりとイバラにとりまかれてるけど、あれお城の塔か。そうだよ、そのテッペンにさお姫さまがいるんだよ。お姫さま? そうだよ。そのひと、美人? あんた外見にこだわるの? いや。この期におよんで、外見はどうでもいいでしょ、あんた選り好みできる立場じゃないでしょ、だいたいじぶんはどうなのよじぶんは、野獣じゃないのさ。いまはそうだけど、呪いがとければ、ばあさんが腰を抜かすくらいのイケメンだぜおれは。あんたそんなことを鼻にかけてるから野獣になんかなっちまったんじゃないのかい? ぐ、でもさ、ばあさん、どうしてこんなところでポン引きみたいなことしてんだよ。ぐ。眠り姫のところに白馬に乗った王子はあらわれなかったのかよ、おれみたいな野獣をつかまえてキスさせようなんて、なんかウラがあるんじゃねぇのか? ま、このさいだから正直にいうよ、眠り姫に魔法をかけたのはあたしなんだけどさ、呪文をまちがっちゃって、百年たってもねむりからさめないんだよ、たしかにね、何人も王子がトライしたよ、でもさ、あたしの魔法はキスなんかでとけるものじゃなく、百年っていう時間が解決するものだったんだよ、だから、その百年目に姫の目のまえにいた男が姫の夫となってめでたしめでたしになるはずだったのに、百年目に運良くあらわれた王子のまえで姫は目を覚まさなかった、キスしてもだめ、なにしてもだめ、挙句の果てにその王子は頭がおかしくなって塔から身投げ、そんな噂がたっても勇敢な王子が何人もやってきたけど、みんな同じ運命さ、塔のしたのイバラのなかにはかぞえきれないくらいの墓標がたっている。なんでそんなことがおこったんだよ。だからあたしが呪文間違えちゃったんだってば。ばかじゃねぇの、魔女失格だよ。それよそれ。なに。だから魔女失格、かれこれ二百年たつんだけど、かけたはずの魔法が二百年たっても解けないときは魔女資格を剥奪されちまうんだよ。で、おれを利用しようっての? おたがいさまだろ、あんた切羽詰ってるよね、こころやさしい野獣だよね、そいつをためしたいわけだろ、いいチャンスじゃないか、いったいあんたいままでどんだけ時間を無駄にしたんだい? だからって、いきなり寝ている女にキスをして、おはようはじめまして、でお互いあいしあえるか? ひとめぼれってもんがあるだろう、この世にはさ。
野獣は魔女にいいくるめられたわけじゃなかった。なかばどうでもいいとおもっていたじぶんの行く末をなりゆきにまかせてみるのもいいなとおもったのだ。野獣は二百年生えつづけはびこっているイバラをものともせず塔のてっぺんにたどりついた。何人もの王子がかけまちがえた魔法のせいで身を投げた窓から野獣は塔のなかの部屋におしいった。そこには絶世の美女がよこたわっていた。二百年眠っているとはおもえないみずみずしさで真っ白な肌が内側からひかり輝いていた。野獣はひるんだ。こいつはむりでしょう、めざめたとたんおれの姿をみて卒倒しまずくすると死んでしまうかもしれない。それじゃあんまりだ。もちろんあんまりなのはおれなんかにキスされてめざめた姫だ。でもなんとかしてあげたいと野獣は心の底からおもった。そこにはそれまでの野獣とはちがう野獣がいた。こんな美女がイバラにまつわりつかれた塔のうえで眠り続けるなんてことがあってはいけない。そうおもったとき野獣の目から涙がひと粒こぼれた。理不尽な運命に対するやり場のない悲しみが結実したその水玉は宙にうかび、姫の顔近くまで浮遊し、そこではじけた。ぱちん。
姫は目のまえの野獣に驚愕し、ベッドからはねとんだ。ごろごろと壁際までころがり、壁にかけてある猟銃を手にとってずどんと一発野獣を撃った。野獣ははねとばされた。窓から転げた。死んでもいいや、彼女が目覚めたのだから。イバラの繁みにおちてゆきながら野獣はその姿を人間にかえた。野獣の心がうちころされて人間がもどったのか。イバラの繁みは王子をうけとめた。とげがささることはなかった。魔女がいた。よかったね。よくはない、おまえみたいな性根のくさった魔法使いがいるから人間が不条理な人生をいきねばならぬのだ。えっ、という驚愕の表情をのこしたまま、魔女は王子に切り殺された。
王子はふたたび塔のてっぺんの部屋にのぼった。姫はその王子をみて恋に落ちた。運命の人だとおもった。心なんてものは外見からそう簡単にわかるものじゃない。ふたりは恋に落ちた。そして、おたがいの心をわかりあって、ますます愛しあった。それでいいじゃないか。その愛は真実である。かわいそうなのは魔女だけど、それはそれでしかたない。

 

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その15

◆2代目ぐんまちゃんとゆうまちゃんと初代ぐんまちゃん◆

2月22日は何の日? といえば、だいたいの人が猫の日と答えると思います(にゃんにゃんにゃん!)。それだけじゃなく、2月22日は我らが群馬県のマスコットキャラクター、ぐんまちゃんの誕生日です!! Happy Birthday、ぐんまちゃん! せっかく誕生日なので(?)ぐんまちゃんについて、改めて調べてみました。

名前    ぐんまちゃん
生年月日  2月22日
出身地   ぐんま
年齢    人間だと7歳くらい
好きなこと 楽しいこと、人を笑顔にすること
      温泉でリフレッシュ
      ぐんまの食べ物
特技    みんなを癒やす不思議な力
仕事    群馬県宣伝部長
(「ぐんまちゃんオフィシャルサイト」(https://gunmachan-official.jp/)プロフィールより)

ちなみに、永遠の7歳らしいです。かわいいな……。上4つくらいは知ってたけど、特技の「みんなを癒やす不思議な力」は初めて聞きました。かわいさでみんなを癒やすってこと……!? ゆるキャラグランプリで1位を獲得したこともあるし、知名度はかなり高いであろうぐんまちゃんですが、正式名称は「2代目ぐんまちゃん」らしいです。しかも最初はぐんまちゃんじゃなくて「ゆうまちゃん」だったとか……!!
私の家には、「ゆうま三兄弟のゆうこ姫を救え!」という絵本があります。食生活が悪くて体調不良を起こしたゆうこ姫を助けるために、ゆうま三兄弟が野菜を探して旅をする……みたいな話だったような。懐かしくなって引っ張り出してみたら、奥付に平成17年3月31日発行と書いてありました。2008年7月にぐんまちゃんに改名したらしいので、まだゆうまちゃんだったころの本だったんですね。とても気に入って、何度も読み返していた記憶があります。
ちょっと脱線しましたが、ゆうまちゃんは1994年、全国知的障害者スポーツ大会、ゆうあいピックのマスコットキャラクターとして登場しました。ゆうあいピックから「ゆう」、ぐんまから「ま」を組み合わせて「ゆうま」になったそうです。ゆうあいピックが終わった後も活動し続け、アンテナショップ「ぐんまちゃん家」がオープンしたのをきっかけに改名したとのこと。その際、既に初代ぐんまちゃんがいたため、「2代目」ぐんまちゃんになったようです。
私は初代がいたことを知らなかったので、すごくびっくりしました。初代についても調べてみたところ、初代ぐんまちゃんは1983年、国民体育大会(あかぎ国体)のマスコットキャラクターとして作られたそうです。ぐんまちゃんもゆうまちゃんも、スポーツの大会のマスコットとして生まれたんですね。ぐんまちゃんはゆうまちゃんよりもより馬に近い姿で、ゆうまちゃんと同様に、大会の終了後、県のマスコットキャラクターに変わっていきました。
初代ぐんまちゃんも、2代目ぐんまちゃんも、似たような経歴があったんですね。普段はあまり来歴とかを気にすることもなかったけれど、改めて調べてみて、楽しかったです。いつか3代目ぐんまちゃんが現れたり……流石にないかな? ぐんまちゃん、すごく人気だし。今回はぐんまちゃんだったけど、全国のマスコットキャラクターの歴史とかを調べてみるのも楽しそうです。

 

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その14

◆「せせらぎ」188号◆

太田女子高等学校文芸部の部誌「せせらぎ」188号が完成しました!

デジタル版をつくりましたので、ご覧ください。

冊子をご所望の方はおちかくの部員までお申しつけください。

せせらぎ188号.pdf

◆高校生JOMO小説◆

2年生の長山穂乃花さんが最優秀賞、1年生の石原真奈美さんが佳作をそれぞれ受賞しました!

上毛新聞紙上では昨年の12月に発表されておりますが、おくればせながらご報告いたします。

おふたりともおめでとうございます。

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その13

住んでいる市と同じ市ではありますが、少し離れた田んぼや畑が広がる方に先日行ったときのことを話そうと思います。その時、母と車に乗っていたのですが、私は衝撃的なものを見ました。「白菜3つで100円」、そう書かれた看板です。目を疑いました。3つで100円?! 普段、買い物に行きませんので、野菜の相場価格は知りませんが、そんな私でもさすがにこれは破格だということが分かりました。母は運転をしていたので、その看板に気づかなかっただろう、そう思い、運転している母に興奮気味に伝えました。母は「えっ、見間違いじゃない? 白菜なんて、1つで100円でも安いのに、3つで100円!」そういい、来た道を戻って、看板があった場所に行きました。砂利の駐車場に車を止め、そこには確かに「白菜3つで100円」と書かれた看板がありました。小さな小屋があり、黄色い農業用のコンテナボックスの中に白菜がたくさん入っていました。売り物にできなかったからこんなに安いのでしょうか。確かに、そこに入っていた白菜は少し小ぶりだったり、形がいびつだったりしましたが、痛んではおらず、とても美味しそうな白菜でした。その横には、1袋100円のホウレン草も売っていました。無人販売のようで、小屋の前に小さな箱があり、「お代はこちらに入れてください」と書かれた紙が添えられていました。母とワイワイしながら、白菜を3つ選び、それにホウレン草も一袋持って、小さな箱に100円玉を二枚だけ、入れました。家に着いて、母は買った白菜を1つ、近所の家にお裾分けをしに行きました。その日の晩御飯はもちろん白菜がたっぷり入った鍋で、それはそれはとても美味しかったです。

 

 

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その12

◆太田高校文芸部との合同読書会&句会◆ 

 クリスマスの翌日の12月26日に、今年度2回目となる太田高校との読書会&句会が開催されました。今回の会場は太田女子高校の図書室です。太田高校文芸部の皆さん(4名)が風が吹き寒い中、こちらまで来てくれました。ありがとうございました!
 まずは句会です。今回のお題は「おくりもの」。贈り物、人を送る、言葉をおくる……それぞれ思い浮かぶものは様々ではないでしょうか。この句会では計24句が創られましたが、文字数の都合上、その中から得点が高かった数句を紹介しようと思います。

  好物を贈れど君は来ぬ盆よ

 点を入れた人の感想は「故人への思いを読んだのがしみじみ感じられる」「最後を『お盆』ではなく『盆よ』としたのがよい」などがありました。作者の意図としては感想にもあったように、故人への思いを詠んだものでした。「盆よ」の「よ」を入れたことについては素晴らしいセンスによって自然と思い浮かんだそうです。私はこれを初め、「(独身の一人暮らしの)子供に好物を送ったとしても、お盆さえ家に帰ってこない」という風に解釈していました。しかし、作者の意図やほかの人の感想を聞くことで納得の気持ちになり、この句がより素晴らしく感じられるようになりました。とても素晴らしい俳句だと思います。

  封を切り届いた通知桜咲く

 この句に対する感想には「前半の堅苦しい感じから『桜咲く』で一気に華やかになるのがよい」「『桜咲く』という言葉の選び方が素敵」などが上がりました。前半部分で合否の結果をためておいて、一気に最後に「桜咲く」。この俳句もまた素晴らしいです。2年と少し後の私も「桜咲く」の文字が見られるよう勉学に励まなくては。

  オリオンに見送られゆく夜汽車かな

感想には「星空が幻想的」「銀河鉄道が思い出される」などがありました。キラキラ光る星空のもと、線路を走る汽車。空気は澄んでいて遠くまで汽車の音が響きそうです。文字だけなのにパッと美しい情景が浮かぶのですから、俳句の力はすごいですね。

  風邪づてに叶わぬ届き哀,破る

この句は「風邪は人から人へと伝わるから、風邪も『おくるもの』すなわち『おくりもの』だよね」という解釈のもとで創られたそうです。感想には「対比がおしゃれ」「『哀,破る』に活字のセンスが感じられる」などがありました。「おくりもの」の捉え方もたくさんあって面白いなと思わせられました。今の時期にピッタリの俳句です。
 これらの句の他にもたくさんの素晴らしい句がありました。感想や解説を言いあい、俳句への理解を深めていくのはとても楽しいですね。全体の句会の様子としては、みんなでワイワイ仲良くしながら進められた感じです。つぎの機会を楽しみに、各自で研鑽をつみましょう。
 続いては読書会です。今回の読書会のテキストは「山村氏の鼻」です。尾崎翠という女流作家が1928(昭和3)年に発表した短編です。尾崎翠? 知ってます? わたしは知りませんでした。Wikipediaで調べてみました。尾崎翠は1896(明治29)年12月20日生まれ、1971(昭和46)年7月8日没。1915(大正4)年から1933(昭和8)年ころまで作家活動をしていたようですが、そのあいだはほとんど評価されていなかったみたいです。1933年に(はじめて?)発行された『第七官界彷徨』はときの文壇を瞠目させたということですが、そのときにはすでに尾崎翠は実家がある鳥取に引き込んでおり、その後、確たる創作活動にはとりくまなかったようです。「第七官界彷徨」を軸とした尾崎翠の評価は彼女が創作活動から遠ざかったり、死没したあとになって高まってゆき、知る人ぞ知る特異な小説家として全集やアンソロジーが出版されてきたんだそうです。
 さて、今回のテキストである「山村氏の鼻」ですが、そういった尾崎翠に対する知識があるとますます奇妙な小説であるような気がしてきます。異様な嗅覚の持ち主である山村氏が、その能力を逆手にとられて、手痛いしっぺ返しをくらう物語……と聞けば、話が弾みそうなものですが……わたしは、全然喋れませんでした!! なんでかなーと思ったのですが、よく思い返してみると、登場人物がどうしてその行動を取ったのかとか、行動の理由がなかなかわからなくて、全然感想を持てなかったんですよね。でもほかのみんなは楽しそうに喋っていて、ちょっとおいてけぼりをくった感じでした。残念。「もっと頑張らねば……!!」とつくづく思いました。おくればせながら、匂いに敏感な山村氏が自身の発する匂いに弱点があったという設定は尾崎翠らしい(と偉そうにいいますが)とおもいます!(当日いいたかったぁ)
 楽しい時間はあっという間に過ぎるものです。今回もまた、気づかぬうちに日が傾いてしまい、もっと話したいと思いながらも解散になりました。次回は春休みでしょうか。こんどはどんなお話を読んで、どんな句を作りましょうか。楽しみで仕方ありません。

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その11

「がんばるからっぽ缶」

 こんにちは。僕はアルミ缶です。今、道の端っこに転がっています。これで僕も晴れてポイ捨てゴミの仲間入り、ということでしょうか。
 ひとつだけ、元の持ち主さんの名誉のために弁解をするとするなら、多分あの人は僕のことをポイ捨てしようと思って道に捨てたわけではないと思うのです。
 ポイッと投げられるというよりも、むしろペイッと押し出されるような感覚がしたので、落っことされてしまったのだと思います。あんなに勢いよく落ちたのは自動販売機で買われたとき以来ですね。
 あ、言ってませんでしたね。僕、自販機出身なんですよ。
 そんなわけで、(おそらく)不慮の事故で道端のゴミとなってしまった僕は、どうすることもできずに道端で大人しくしているのです。少しだけ中に残っていた清涼飲料水が頭の飲み口からピタピタとこぼれている気がします。
 乾いたらベタベタになっちゃうかな。嫌だなぁ。
 そういえば、僕はリサイクルされるのが夢なんですよね。
 だから早めに拾ってもらわないと、汚いせいでただのゴミとして捨てられてしまうかもしれません。それでは困ります。
 誰か人間が近くを通って、僕のことを拾ってくれればいいんですけど、こんなにジリジリ地面を焦がすような太陽が照りつけていると、僕もアツアツになってしまって誰も拾ってくれないかもしれません。
 そもそもこの道は車ばかりが多く走っていて、あまり歩いている人間を見かけませんね。ここで拾ってもらうのは望み薄かな、と僕は風に乗って転がって行きました。ころころ。
 ころころ。一日かけて転がってきた先は、どうやら広めの歩道がある人通りの多い道のようです。ここなら拾ってもらえるかな、なんてほくそ笑みました。
 ですが、どうにも様子が可笑しいようです。たくさんの人が僕の前を通っていくのに、誰ひとりとして僕に見向きもしないのです。
「ッダッっッっっ!!」
 ほら、今だって小さな男の子が転んでいますが、誰も気にしていません。たしかに小さいと言っても小学校中学年くらいの年ではありますが、転んだときの異常なまでの声が気にならないものなのでしょうか?
 僕はまだ人間のまちは二日目ですが、なかなかにキマった声だと思いました。ですが、周りの人間たちは特に気にならないのでしょうか?
 無機物である僕が言うのもなんですが、もう少し周囲に関心を持つ余裕を持ったほうがよいのではないでしょうか。
「ヤッっ!!」
 あっ。転んでいた少年が起き上がって僕を蹴り飛ばしてきました。少し側面が凹んでしまった気がします。少しだけ飛びます。ひゅーん。転がっていきます。ころころ。
 道の端っこも端っこ。本当に人目につかないような影に追いやられてしまいました。これでは見つけてもらえません。
 どよーん、と落ち込んだ空気を醸し出していると、かさかさ、と何かが動く音がしました。
「やあ、君もこんなところに来てしまったのかい?」
 はい。あなたは誰ですか? ずいぶんと泥にまみれてしまって元のお姿がわからないのです。
「私はパックジュースの紙パックだよ。ぶどう味のね。子供向けキャラクターが印刷されていたんだけど、もう見る影もなくなってしまったよ」
 そうなんですね。実は、僕はリサイクルされたくて。こんな人通りのないところでは見つけてもらえなくて困ります。
「へえ、君はリサイクルされたいのか。珍しいね。私は人間に拾われるなんてまっぴらゴメンだよ」
 そうなんですか。考え方はそれぞれですからね。
「まあ、君が人間に拾われたいのなら、ここほど向かない場所はないだろうね。向こうに行ってみたら? ここよりも人が通るし、拾われていくやつもいくつか見かけたよ」
 わあ、ありがとうございます。行ってみますね。
「おう、気をつけてな」
 ころころ。転がります。
 コツン。
 おや、なにかとぶつかってしまいました。すみません、大丈夫ですか?
「あ、ああ大丈夫だ。気をつけろよ」
 先ほどパックジュースの紙パックさんに気をつけるように言われたばかりなのに、もう不注意になってしまいました。恥ずかしいです。
 あなたは、誰ですか? 元のお姿がまったく想像できませんね。もしかしてプラスチック製でしょうか?
「さあな。そう見えるってんならそうなんだろ。俺も俺がなんだったのかなんてわからねェよ。」
 そういうものなんですか?
「おー。落っこちてすぐの頃は仲間たちとくっついてひとつのなにかだったんだ。だが、いつの間にかバラけちまって、気がつけば自分がなんだったのかすらわからなくなっちまった」
 大変ですね。
「そうでもねェさ。ただ少し、……さみしいかもな」
 それなら、僕と一緒に行きませんか?
「何をしに、どこに行くんだ?」
 リサイクルされるために人間に拾われに、もっと人の多いところへ行くんです。
「さっきみたいに転がってか?」
 そうです。でも、あなたは転がれないですね。
「俺は平べったいからなァ」
 それなら僕の飲み口に入りますか? 少し狭いかもしれませんが、頑張れば入れると思います。
「こうかい?」
 ぐ、ぐ、と黒色のプラスチック片さんは僕の飲み口に体をねじ込みました。なんだか変な感じがします。
 それでは行きましょうか。
「おう!」
 転がります。ころころ。
 水たまりに落ちました。びしゃびしゃ。ころころ。転がっているうちに濡れていたところが乾いて、細かな泥汚れが張り付いたままになってしまいました。ころころ。
 ころころ。ころころ。そろそろ人通りの多い道になってきたでしょうか。黒いプラスチック片さん、そちらはよく見えていますか?
「ああ! たくさん人が歩いてるぞ! ここらでいいんじゃないか?」
 それならここで拾ってもらえるのを待ちましょう。
 ころころ。ころころ。と同じ場所をなんども行ったり来たり、転がって待ちます。
 早く拾ってほしいなぁ。
「そもそもお前はなんでリサイクルされたいんだ?」
 ああ、その話ですか。僕が自動販売機の中にいた頃、上の列にいたコーラ缶の先輩が言っていたんです。彼は、彼女かな。まあ、先輩はリサイクルで作られたアルミ缶らしくて、リサイクル経験者なのです。「リサイクルされるってのは、かなり面白いんだ! 自分が自分でなくなって、それで新しい自分に変わっていく、あの感覚は一回経験したらもう忘れられないよ。怖いって言うやつもいるけどな、そういうやつはホントに無機物生損してると思うぞ!」とかなんとか。
「それで、お前はリサイクルされたいのか。変わってるな」
 そうでもないですよ。自販機の中ではリサイクルされたい派が一番多かったんですから。
「……他にはどんな派閥があったのか聞いても構わないか」
 不燃ゴミとして埋め立てられたい派と可燃ゴミと一緒に捨てられて燃やされたい派、あとはとても少数派ですけどそのまま缶としてずっと保管されたい派がいましたね。
「…………」
 そんなことを話しているうちに誰かの足音が近づいてきました。茶色いピカピカした靴です。バサリと音を立てて真っ黒なスカートが翻りました。
「あーゴミはっけーん、てなにこれ? 飲み口になんか詰まってる、イタズラ?」
 明るい少女の声とともに僕たちは金属製のトングで掴み上げられました。ふわりと少女は顔を近づけて僕たちをまじまじと見ています。
「きったな、これはそのままゴミで出しちゃえばいっか」
 なっ、「そのままゴミで出す」とは分別されないということでしょうか!? 恐れていたことが現実になってしまいました。
少女は僕たちを透明なビニール袋に入れようとしています。逃げましょう! と飲み口の黒いプラスチック片さんに声をかけて、ペイッと少女の手から飛び出しました。
「あ、っちょっと!」
 少女の驚いた声がしますが、思いっきり無視をして転がり続けます。なんとしてもリサイクルされるために!
 ――――こうして、アルミ缶と黒いプラスチック片のリサイクルを求める旅が始まったのだった。

 

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その10

 不覚にも風邪を引いた。コロナウイルスである。周りの人々がインフルエンザに倒れ伏していく中、何故私はコロナウイルスなんかに罹っているのであろうか。
 まあ、学校にも行けないしで時間も余っていることだから、本でも読もうかと、ベッドの中から手を伸ばして積読から一冊の本を取り出して開く。
 思えば最近、忙し過ぎたのだ。だから本を読む時間を取れなかったし、体調も崩す。感染経路にいまいち心当たりがないけれど罹ってしまったものはしょうがない。
 家族全員が出払って静まり返っている家の中、私の部屋の中だけにペラリペラリとページをめくる音が響く。どれだけ本を読み続けても怒られない、至福の時間。
 しかし、そんな時間に影が差す。寝っ転がって本を読む弊害が現れ始めた。まず、横を向いて寝っ転がり本を読むと、上側の腕が痺れる。疲れすぎてプルプル震えてきた。
 次にあお向けになる。今度は両腕が痺れる。肩も痛い。サイアク。
 うつ伏せになって背筋を使って上半身を持ち上げながら本を読んでみる。両腕も疲れるし背中も疲れる。これもだめ。
 もう座って読むかと、身体を起こせば急に頭がクラクラしてくる。そうだ、私は病人だった。
 諦めて横向きに寝転がって本を開く。熱のせいかなんだか文字を読んでも頭に入ってこない。何が書いてあるのかはわかるのに、理解ができない。文字の奥にある景色や、顔や、声が、まったく感じられない。
 なんたる不覚。記憶にある限り文字を読まなかった日はないと断言できる、この私が!
 本が読めないとわかると、なんだか悲しくなってきた。しくしくと、涙を流していると、だんだん眠くなってきた。

 ハッ、と意識が覚醒した。気が付かないうちに眠っていたらしい。眠っている間に汗をたくさんかいたようで、身体が随分とスッキリした。熱も下がったようだ。頭にかかっていた霧が晴れていったような気分。
 寝起きで震える手を枕元の本に伸ばす。本を開いた。文章に目を向ける。
 読める。
「はは、」
 やっぱり、物語が読めるって素晴らしい。

 みんなは病気に気をつけてね。

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その9

総文祭の報告です♡

令和6年10月26日土曜日のお昼過ぎ、わたしたちは「関東と信越つなぐ」高崎市にいました。「第30回群馬県高等学校総合文化祭文芸部門交流」に会参するためです。「金山」と「呑竜様」の街太田発11:16の「銘仙織り出す」伊勢崎行きにのり、伊勢崎でJR両毛線にのりかえて、1時間とちょっと、高崎は薄曇りでした。会場となっている群馬音楽センターまでは徒歩15分くらい。総文祭に参加するらしい高校生がたくさん歩いていました。開場前にお庭のベンチで優雅にランチと洒落こみたかったのですが、「はやく食べて準備を手伝って」と顧問のY先生にせかされてのんびりしていられませんでした。わたしたちは幹事校となっている太田高校文芸部をサポートすることになっていたのです。太田の生徒はすでに到着し、会場の設営をしていました。大慌てでご飯を食べ終えたわたしたちは、交流会でつかう「名札」を三角におってセロテープでとめる作業を任されました。交流会ではグループごとの司会と進行も仰せつかっています。どきどきの「晴れ舞台」です。

まずは「2024年度第19回 群馬県高校生文学賞」の表彰式です。散文部門、詩部門、短歌部門、俳句部門、同人誌部門で、のべ30人5校が表彰されました。そのなかに、われらが長山穂乃花さんが含まれています。誇らしいかぎりです! 長山さんが受賞の喜びをしたためてくれました。

 満腹からくる眠気に負けそうな穏やかな昼下がり。そんな眠気をかき消すほどの緊張が、私に背筋を伸ばさせる。
 今日は総文祭の表彰式だ。生まれて初めて、私の作品が誰かに評価された証をもらえるのだ。そう考えると緊張を上回るワクワクとドキドキが混ざった喜びが胸のあたりを暖かくする。
 静かな会場の外から賑やかな演奏とたくさんの人のざわめきがぼんやり伝わってくる。表彰は部門別に行われるらしい。右隣の列の人たちが名前を呼ばれて前へ出ていった。私が応募したのは散文部門。呼ばれるのはこの次だ。
 前に出た生徒たちは、ひとりひとり名前を呼ばれて賞状を手渡されている。すべての人に賞状が渡ると、みんな席に戻ってくる。
 散文部門の私達も呼ばれる。前も後ろも知らない、他校の生徒だ。せめて同じ学校の仲間たちに挟まれていたのなら、この緊張もいくらかマシだったろうに。
 席を立つ。
 少しだけ震える指先を抑えて前へ向かう。
 私の名前が呼ばれた。
 大きな賞状が渡される。たしかに私の名前が書いてある。私だけの賞状。
 ソワソワする気持ちをそっと身体の奥に閉じ込めながら元いた席に戻る。すると、前の席に座っていた女子生徒は椅子の下に置いてあった自分の荷物を手に取ると、ふたつ隣の列の席へと移動した。散文部門だけでなく短歌部門でも表彰されるらしい。
 前へ出ていった左隣の人たちも賞状を手に戻ってきた。斜め前の子も荷物を持って俳句部門へ並んでいった。
 この場にいるうちのかなりの人数が複数の部門で賞を取っている。
 様々な形式の文字に触れたほうが良いのかな。もっといろんな文章を書いてみよう。
 新しい目標を見つけた、そんな暖かい秋の午後だった。

すばらしいことですね。わたしたちもおおいに励みになりました。

第二部は交流会です。文学賞で短歌部門の選者をしてくださった、歌人の石原秀樹先生をお招きして、「歌会(かかい、と言うそうです)」を開きました。参加者を五つのグループに分け、あらかじめ投稿してあったそれぞれに短歌から自分が気に入ったものを選び、感想を述べあう催しです。わたしたち太女文芸部はふたつのグループの司会進行を任されました。まずは短歌の書かれたプリントを配ります。時間をとって◎と〇をそれぞれ三つつけてもらいます。用紙を回収し、わたしたちが集計した結果にもとづいて、上位の短歌から、それをよいと思った人の感想を聞き、最後に作者の創作意図などを話してもらいました。とてつもなく緊張しましたが、「歌会」はとてもなごやかに楽しく展開し、充実した時間となりました。なにしろ、短歌についてひとの意見をきく、はなすという体験が新鮮でした。ひとつのおなじことばのつらなりなのに、ひとの感想はさまざまで、作者の描きたかったこととかならずしも一致するわけではありません。でもそれが「文芸」のありかたなんですよねぇ。

  

さいごに石原先生からいくつかの短歌をとりあげてもらい、講評をいただきました。じょうずな短歌をつくるためには、どんなささいなことでも五七五七七にしてみること。先生はその日コンビニにたちよったときのできごとをさらさらっと短歌にしていました。そういうことの積み重ねがことばの鍛錬になるというお話でした。なるほどなるほど。まずはやってみる、ということですね。

五つのグループのなかで得票数が一番おおかった短歌の作者が表彰されました。そのなかに太女文芸部の生徒も含まれていたんですよ! これまたすばらしい。名誉なことです。長山さんが書いているように、小説だけではなく、短歌に俳句に、わたしたち太女文芸部は、ますます精進しまーす。

わたしたちが投稿した短歌はつぎのとおりです。ひとり二首つくりました。できばえはいかがでしょうか?

 涼風を切って舞い交う赤蜻蛉秋の家路の束の間の夢
 記憶から声も姿も薄れゆく心を録画するカメラどこ
 四年前灰に濁った暗がりで崩れる白をただただ見つめ
 過ぎ去ればおぼろと消えてゆく君の記憶の端を留める夢を
 つぶやいた手加減無用合図してテスト開始の鐘が鳴り出す
 見開いたページの中のメッセージ古い本には誰かの記憶
 駅で待つ毎度秋は遅延だが定刻通り咲く彼岸花
 まげわっぱ蓋を開けると栗ご飯今年も来ました食欲の秋

 

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その8

「大森暁生展に行ってきたーーーーーー!」

9月15日、文芸部の石原さんが県立館林美術館に行ってきたそうです。企画展「霊気を掘り出す彫刻家 大森暁生展」をやっていて、100点を超える作品を見ることができたらしいです。一ヶ所をのぞいて撮影OKだったから、たくさん(というかほぼ全部)撮ってきたよ! と言って、私に見せてくれました。その中で、一番上手く撮れた、という写真と、一番気に入った作品の写真を送ってもらいました。

    

 左が上手く撮れたという写真、右が一番気に入ったという作品の写真です。「これが一番気に入ったやつ」と写真を見せてもらったとき、何とも言えない気持ちになりました。だって、血でできた蝶みたいな作品ですよ? どこが気に入ったのか聞けば、「綺麗だったから」とのこと。たしかにきれいだけど……。ちなみに、左側の写真の作品の全体はこんな感じです。

 

 ていうか、作品が写ってないのに上手く撮れたって……それでいいんか? ちなみに、彼女によれば、鏡を使った作品が多かったそうです。

この鶴や、                     この鳩のように、

               

 鏡を利用して生き物の全体を創っている作品がたくさんあったと。自分や他の人が写り込まないように撮るのが大変だったそうです。帰るとき、美術館の敷地内にあった池の、鯉の写真も撮ったそうですよ。かわいい。

 

わたしがいまいってみたいのはおなじく館林美術館で開催中の「スペインの巨匠•ミロ 版画の宇宙」です。土屋文明記念文学館でやっている「文豪・谷崎潤一郎 –美を追い求めて」も気になりますね。わたし谷崎潤一郎の小説が大好きなんです。「刺青」とか、シビれますね。でも高崎はちょっと遠いです。あーあ。

 

 

 

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その7

 初めまして、もしくはお久しぶりです。……と言っても、太女の部・同好会の中では比較的更新頻度は高いので、「久しぶり」はしっくりこない気もするが。ともあれ、今回お届けするのは浦島太郎の物語だ。おっと、画面を閉じる前に。『浦島太郎』は誰もが知る定番の昔話だが、この太郎と姫様はそれとは少々違うようで…? お楽しみいただければ幸いだ。

◇浦島太郎◇

 昔々あるところに、浦島太郎という気弱で真面目なことで有名な漁師が、年老いた母親とふたりで暮らしていた。ある日、太郎が普段のように海へ出かけると、浜辺では村の子どもたちが大きな亀をつつき回して遊んでいた。
「こら、おまえたち、何をやっている! 今すぐ亀を放してあげなさい!」
「げえっ、くそ真面目の太郎さんじゃ」
「普段は優しいけどたまにおっかない太郎さんじゃ!」
「逃げろっ、逃げろおっ」
子どもたちは亀をいじめていた木の枝を打ち捨てると、散り散りに駆けていった。中には亀にぶつかるように枝を投げてから逃げるのもいた。
「亀どの、亀どの、大丈夫かい」
太郎がぐっと首を縮めていた亀の傍にしゃがみ込むと、亀はゆっくり顔を上げた。
「ああ、すんでのところで助かった。感謝する」
「亀なのにしゃべるのか」
「話しかけてきたのはそっちのくせに、しゃべったらいけないのか」
「……いや。とにかく、陸は危ない。早く海へお戻りなさい」
「では礼として、海の中の宮殿にお主も連れて行こう。姉上が喜ぶに違いない」
「はあっ!? ままま待ってくれ、おれのおっかさんに伝えてからでないと」
「『くそ真面目の太郎さん』と言われるだけあるな」
 亀はニヤリと微笑を浮かべた。
「黙っとけ」
 これには太郎も赤面し、軽く怒鳴るように返した。この非礼に亀は腹を立てるでもなく、
「いいだろう。別れの挨拶をしておいで」
   *
 かくして浦島太郎を背に乗せた亀は竜宮城へとやって来た。亀は謁見の間で太郎を下ろすなり、立派な身なりの人間の王子へと姿を変えた。
「姉上、連れてまいりました。私を救ってくださった人間で、浦島太郎といいます。深い孝行の心もあり、王配殿下となるのにこれほど相応しい者はいないでしょう」
「さようか、ご苦労であった。下がるがよい」
 王に相応しい、よく通る威厳に溢れた声でそう言うと、竜宮城の姫は太郎に向かって、
「お話は愚弟より伺っております。困っている亀に手を差し伸べる優しさに、わたくし感服いたしました。どうかわたくしとともに竜宮城の主となり――」
「少々お待ちを! おれ……私は急に連れてこられたとばかりで、話が見えないのです」
「ごめんあそばせ。では、すぐに王配にとは申しませんから、三日ばかり滞在してくださいな」
「は、はいっ、喜んで」
   *
 三日が経ち、浦島太郎は一度家へ帰ることとなった。竜宮城の若き女王は「決して開けてはならない」と言って彼に玉手箱を託し、実は王弟だった美丈夫は再び亀へと姿を変えて彼を陸まで送り届けた。
 村に戻ると何とびっくり、陸上の世界では三日ではなく三百年の歳月が流れており、生家は面影もなく消えてしまい、当然のことながら太郎を直接知るものはいなかった。それどころか、舟が沈んで殉職した漁師として、苔まみれの小さな祠ができている始末。たった一人の家族もとうに死んでいると知ると、母想いの太郎はおんおん泣いた。唯一手許にあった玉手箱をきつく抱えて、身も世もなく涙を流した。
   *
 太郎が帰ってから、陸上の世界で十年が経った。太郎は手頃な空き家に住み着いて、漁師を続けながら細々と独り暮らしをしていた。ある日、太郎が漁へ出かけようと浜辺に出ていったときだ。突然海の水面が不気味に波打ったかと思うと、あの竜宮城の姫が亀の姿をした弟に背負われて現れた。
「太郎どの! 二時間経っても戻らないので来てしまいました」
「姫様!?」
「なぜ玉手箱を開けていないの! これだからくそ真面目はっ!」
「なぜって……くそまj……え?」
「それにはわたくしどもと同じ寿命を得られる秘薬が入っておりましたの。開ければ分かりますわ。陸上でその効果を得れば、ここでの時間の進み、すなわち人やものの移り変わりが途端に速く見え、海に入るとちょうどよく感じられるはずよ」
 無邪気な少女のように満面の笑みを見せると、女王は玉手箱の蓋を開いた。たちまち全身に煙を浴びた太郎は、一気に自分と女王と亀以外の周りのものすべてが目の回るような速さで変化してゆくさまを目の当たりにし、呆然と細い息を吐いた。
「今、おれは、どうしてこんな」
「前にもお話しした通り、わたくしの王配になっていただきたくて。さあ、帰りますよ」
 嬉しげに差し出された白魚のごとき姫の手を、太郎はつい咄嗟に握り返してしまった。
   *
 こうして我々の感覚からすると万年の寿命を得た浦島太郎は、時に突拍子もない言動をする女王を諫める役目を彼女の弟とともに永きに渡って務め、晩年には海の賢君と呼ばれるまでになった。
 めでたし、めでたし?

 

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その6

 第1回「句会せせらぎ」の報告


10月29日火曜日の放課後(文芸部の活動日です)、学校の図書館をお借りして、句会を開催しました。7月23日火曜日に太田高校にでかけて合同読書会に参加したときに、句会も催されました(くわしいことは「華麗なる冒険その3」をごらんください)。俳句をその場で詠んで、投票して、感想を述べあうという文学のライヴ感に感激を受けたわたしたちは、「つぎは太女で!」と意気込んだのでした。とはいえ、じつのところ、わたしたちは自分たちだけで句会をやったことがありません。こんごの文芸部の活動の幅を広げるため、太田高校文芸部との「円満」な交流のため、ここはひとつ「太女文芸部の句会」をぶちあげねばなりません! 小林恭二という小説家の書いた『俳句という遊び』(岩波新書)をテキストに(部員みんなで読みました!)、多少付け焼刃の感は否めませんが、わたしたちはわたしたちの句会「せせらぎ」を立ちあげたのです(「せせらぎ」は部誌の名前です)。
今回は「題詠」としました。題詠とは題となったことばを俳句に詠みこむことです。「ランダム単語ガチャ」を活用しあれこれ候補をあげてゆきます。これという決め手はなかったのですが、「まる」でゆこうと決まりました。本来は「まる」という単語をつかうのですが、今回は「まる」をイメージできるものでもよいこととしました。制限時間は20分。さあ、はじまりです! 思いつきを口にだしながらつくる人。それに相槌をうつ人。ひたすら黙々と没頭する人。ひとりはなれて雑念を振り払う人。俳句はフォームで投句しました。すぐにスプレッドシートに一覧ができるのでラクちんです。4人の参加者で、20句ほどの作品が詠みあがりました。それを人数ごとにわけた投票シートで選句してゆきます。ほんらいならダメだとおもう「逆選」もあるのですが、わたしたちはよいものを選ぶ「正選」だけにしました。ひとり5句を選びました。その結果上位にはいったのがつぎの俳句です。

 大根は煮ても焼いても丸いまま
 見上げれば浮かぶ十五夜膝に猫
 木枯らしに背中丸めてきょうもまた
 夏夕空 ビー玉越しに 陽を込めて
 遠足に五百円玉握りしめ
 信楽の狸が見上げる秋時雨

それぞれの俳句について、「正選」の印をつけた人が感想を述べ、そのあとで作者が作品の意図をかたります。「大根」の句は調理した大根の形に着目している点が評価されました。「膝に猫」は取り合わせの妙。月見をしている縁側(じゃないかもしれないけど)の長閑さがうまく表現されています。「木枯らし」は背中を「丸める」という「まる」の使い方が目から鱗の作品です。「ビー玉」は書いてなくても「ラムネ玉」だよねーと意見が一致。夕空をビー玉に閉じ込めちゃう幻想が素敵です。「遠足」の俳句は、言わずもがなですよね。だれもが経験したであろう遠足のおやつを買いにでかけるワクワクが簡潔に表現されています。「信楽の狸」はよくあるあの狸が秋時雨を憂鬱そうに見あげている情景がシュールな逸品です。
午後4時すぎからはじめて、午後5時半まで、わたしたちは「俳句」しました。小説の創作に偏りがちな太女文芸部ですが、俳句にも目覚めたような気がします。つぎは短歌かな。第2回目の句会も楽しみです。


文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 特別篇

僕の大きな小人さん(全3話) 長山穂乃花

第3話(最終回)
「さて、リーと帰るか」
 最後のお客もいなくいなくなったことだし、と帰り支度をする。通りに面した大きな窓にカーテンを下ろし、入口のドアにも鍵を掛ける。
 ギイっと軋んだ音を立ててバックヤードに入って鍵を掛けた。バックヤードと言っても、店頭に並べない植物を置いているため天窓からの明かりが入る作りになっていて、意外に明るい。しかし、今は夕方で電気もつけられていないため、どこか不気味に薄暗かった。
 リーには電気を点けるように言っているのに。
「リー?」
 返事はない。きょろきょろとあたりを見回してみるが、あの大きな身体を隠せそうな場所もない。
 その日から、リーは僕の前から姿を消した。
「ありがとうございました」
 今日も、いつも通りに自分の店で仕事をする。リーが僕の日常に入り込む前の、いつもどおりの生活だった。
 ……あの後、先に帰ってしまったのかと帰り道の途中を探してみた。
 リーは見つからなかった。
 もう家に着いているのかもしれない。
 家にもリーの姿はなかった。
 次の日、バックヤードの中をもう一度、隅から隅まで探した。
 部屋の隅、机と壁の外から見えづらい隙間に、リーに着せていた洋服が一式脱ぎ捨てられているのを見つけた。
 おい待て今アイツは全裸なのか!?
 そんな僕の混乱を置いてけぼりにして、結局リーは見つからなかった。
「いらっしゃいませ」
 リーがいない日常は、ずいぶんと味気ない。
「今日は、何をお探しですか?」
 当然だ。リーがこの店で働き始めたのはここ数日間だけとはいっても、家には五年近く前から居たのだから。
「それなら、こちらの花はいかがでしょうか。今年はかなり色がいいですよ」
 リーがそばに居なかったときにどうやって過ごしていたのか、もう思い出せないほど、リーとの生活を楽しんでいたことに今更気づいた。
 リーが小さな瓶に入れられていたときから、ずっと。
 僕は、そっとエプロンのポケットに入れられた球を撫でる。体温と同じくらいの温かさと、さらりとした手触りが伝わってくる。
 落ちていたリーの服に隠されていた卵型の球体。真っ白で、リーの瞳を連想させる光沢を持つその球を撫でていると、不思議と気分が落ち着いた。リーが居なくなった日から、僕はこれを肌身離さず持ち歩いている。
 今日も、僕は一人で店を開けた。
 もう、バックヤードにも店先にも、リーが巨大化させた花々は残っていない。売ってしまったり、苗だったものは成長するときに少しずつ元の大きさに戻ったりしてしまった。
 一本くらい手元に残しておけば良かったかもしれない。
 からん、コロンからん。
「っ、いらっしゃいませ」
 いけない。少しぼうっとしていたようだ。しっかりしなくては。
 気を取り直して入口を見ると、やって来ていたのは先日も訪れていた初老の女性だ。
 彼女はきょろきょろと店の中を見回すと、おっとりと首を傾げた。
「あら、今日は羽根の子は居ないのね」
 お休みかしら? というマダムに、引きつらないよう細心の注意を払って笑顔を向ける。
 あれ、デジャヴ。
「あの子はしばらくバイトはお休みなんです。忙しいみたいで……。いつになったら戻ってこられるかはまだわからないんですよ」
 エプロンのポケットの中が、もぞりと動いた気がした。
「あら、そうなの?」
「本日は何をお求めですか?」
 ポケットの中から、なんだかゾワゾワした感じが広がってくる。すごくぞわぞわする。
「今日はね、娘が久しぶりに帰って来るから、家を華やかにしたいのよ」
「そうなんですね。でしたら大きめの花を多めに入れた花束にしましょうか。メインの色はどうしますか?」
「そうねぇ、赤とか、そんな感じの元気の出る色がいいわ」
「わかりました」
 依頼された通り、一番目立つ大きな花は赤いアマリリスを一輪。その他に薄ピンク色に染められたカスミソウを周りに入れて。赤い色を更に引き立てるために、少し多めにグリーンを。
 そうこうして植物をまとめ、ビニール素材でラッピングしていると、そろそろ無視できないほどポケットの中身が暴れ出していた。
「……っ!!」
 ポケットの中をちらりと覗くと、嫌と言うほど見覚えのある白が目に入った。
 危なかった。危うく常連さんの目の前で悲鳴を上げるところだった。
 マダムはにこにこ微笑んでいて、僕の異変には気づかなかったようだ。
 気持ち、いつもより素早さ三割増しで手早くリボンを掛けていく。
 あれ、デジャヴ。
「お待たせしました!」
「ありがとうねぇ」
 僕は冷や汗だらだらで花束を差し出し、代金を受け取る。リーがここで働いてからやたら表情筋が鍛えられている気がする。
 マダムは楽しそうに表情を緩ませながら花束を受け取ると、カランコロンとドアのベルを鳴らして店から出ていった。
 さんさんとした日差しが大きな窓から差し込む店内が無人になり、しん、と静寂が落ちる。
 ……僕のポケットの中以外は。
 まだガサゴソいってる……。
「……リー、なのか……?」
 ポケットからそっと小さなそれを取り出す。僕の片手の大きさくらいしかない白い塊は、間違いなく出会ってすぐの、それこそ瓶に入れられていたときのリーのようだった。
 だが、出会った頃のリーは、僕の両手の手のひらくらいの大きさで、翼は片方が半分欠けていた。そのせいでどこか確信が持てずに問いかける。
 僕の問いに、リーは目を大きく見開いて頬を上気させ、こくこくと大きく頷いた。
 小さくても、軽くても、そこにリーが存在する確かな重みが伝わってきて、目元が熱くなった。
手のひらの上でリーがワタワタと暴れている。それが水滴を避けているものだと気づいて、その後、ようやく自分が泣いていたことに気付く。
 寂しかったんだ。ずっと一緒に居たリーがいなくなって。
「りぃ〜……」
 出どころ不明の小さなワンピースのような服らしき何かを身につけたリーを潰さないように、そっと顔に近づける。
 どこから来た服だ、これ?
 リーは僕を慰めるように小さな手で、僕の鼻筋をぺちぺちと叩いた。
「かってにいなくなるなよぉ……」
 考えても無駄なことは諦めて。リーが帰ってきてくれたから、それで良しとする。
 リー失踪事件から一年後。リーは順調に大きくなり(成長ではない)、今では僕の膝くらいの高さまで身長が伸びた。成長ではない。
 リーが店で働けないサイズになってしまったせいで、結局僕は忙しい。それでも、朝起きたときに温かい熱が僕の腕の中にあるから、だから、今のままでもいいかと思ったんだ。
 もそり、と腕の中のぬくもりが小さく動いた。
「ん、起きたのか、リー。おはよう」
 今日も、僕たちの一日が始まる。

 

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どうでしたか、みなさん。楽しんでいただけましたか? 「瓶詰の小人」という発想がすばらしいですよね。その小人がどういうわけか巨大化して、花屋の「僕」をトラブルにまきこんで、すったもんだのすえに、姿を消してしまう。「リー」の代わりに「白い卵型」の球体が「僕」の手元にのこり、それがポケットの中で小人に姿をかえて。うまい。うますぎます。ファンタジーのドがすぎます。なぞをなぞのままにのこして、説明しすぎないところが「ブンガク」なんですよね。読んでくださったみなさん。長山さんへの絶賛をおねがいします。