文芸部ブログ

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その27

7月24日木曜日に太田高校文芸部との読書会の後、句会を開きました。

今回は通年通りに各自の俳句に投票してその得票数を競う形で行われました。俳句のテーマは「天」で、なかなか難しいテーマだと思ったのですが、顧問の先生含めその場にいた全員がおもいおもいに俳句を作っていました。

 

 

 

 

 

 

一人あたり二〜三句作り、作者名を伏せた状態でそれぞれの句を見て、各々がいいなと思った句に投票しました。王道のスタイルを貫いている句や意外性のあるユーモアな句まで様々な句ができました。
さて、一番票が集まったのは……!?

「銀世界交わり溶ける曇り空」

なんと我が太女の一年生の句でした! いやあ、素晴らしい。めでたいですね。
途中で時間が押してしまい、全員が句の説明をすることは出来ませんでしたが、とても有意義な時間になりました。太田高校文芸部の皆様、このような会を開いて下さり本当にありがとうございました!

冬休みには太女でお待ちしています。

《参加者の俳句》

笹の葉や流るる星の絶えず春    白い雲夏の訪れまた一つ     
水鏡天を泳ぐは花筏        冬の陽の沈む早さやまた明日
稍寒や離れつつある背と高さ    風見えて夕立見上げ雷を
天翔る暗夜の遠く夜這い星     天井のシミを数える冬の暮
凧揚げの映ゆる休日天晴や     イカ天の余韻丸めて飯を食む
映えるかなキラリ瞬き雲の峰    水田の早苗と踊る夏空よ
銀世界交わり溶ける曇り空     田園の水鏡に立つ雲の峰
雲間から零れる光光芒よ      瞳見てハッと気付いた青い夏
始皇帝ギャグで冷やし中華統一   朝顔は夕立時も天を向く
夕立は天の神様の腹の音      天泣の雲の上には宝石箱
夏夕に手を掲げれば天叢雲     天神にほおった銭を惜しむ春
天然の氷をうたう俗な店      天高く澄んでも低く老人星
赤日を馳せては仰ぐ星月夜     燦燦と花と会話の咲く春日
桜かな終始祝われ君は行く     天日干し梅を転がす祖母の背に
ふと転び意識は既に天の上     

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その26

7月24日木曜日、午後1時30分から、ご近所の太田高校で合同の読書会と句会が開催されました。毎年の恒例行事です。わたしたちは午後1時10分に太女のロータリーに集合。炎天下のアスファルト道を日傘をひろげ優雅に太田高校まであるきました。いや暑かったです。それにしても「交流会」っていいですよね。いろんなひとのいろんな意見を聞くことができて大変勉強になりますし、なにより「たのしい」! 今年は5月に大光院まで散歩してからの句会をひらいたので、お会いするのは二度目になります。太女は三年生が引退していますが、太田高校文芸部は三年生の部員もわたしたちを出迎えてくれました。

さて、まずは読書会の報告です。今回のテキストは、芥川龍之介の「アグニの神」です。舞台は上海の町で、日本領事の娘である妙子が恐ろしい印度人のお婆さんに攫われてしまっています。お婆さんは占い師なのですが、印度のアグニの神の言葉を聞くことで、占ったことの答えを知るのです。そこで、アグニの神は正体がないからなのか、妙子がお婆さんの儀式によって一時的に眠らされ、アグニの神の器みたいなのをやることで、妙子の口からアグニの神がしゃべり、お婆さんは答えを知ります。そこにある日、日本領事に仕える書生の遠藤が妙子を助けにやってきます。
ここから話が展開していくのですが、長くなってしまうので内容はここまでにします。
みんなの感想としては
「現実的でない」
「さすが芥川さん。裏の裏をいってくる」
「遠藤とお婆さんとの戦闘シーンの表現いい」
などがありました。感想を聞くのもとても楽しかったです。
少し、私の思ったことを書きます。読書会のとき、「お婆さんは妙子のことをいじめているのに妙子のことを『恵蓮』なんて可愛らしい名前で呼ぶなあ」って思ったんです。そこで調べてみたのですが、インド神であるアグニはブラフマーという神が創った蓮華から誕生した説があるらしいです。だから「恵蓮」に「蓮」の文字が入っているのかなと思いました。
このお話は児童向けのお話らしく(大正時代の児童ですが)、私自身、昔の本であるのにとても読みやすく感じました。普段、芥川龍之介の本を読まないという人も、このお話はサクッと読めるので、是非読んでみてください。

では、「句会」の顚末につづきます。

 

 

 

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その25

 7月23日水曜日、夏季前期課外がおわった酷暑の午後、学校の図書館に集まって、「せせらぎ」189号の合評会を行いました。

  

 

 

 


 

今回は、一年生にとって初めての「せせらぎ」でした。ですが一年生は臆することなく、自らの作品作りに真剣に向き合い、自分の思いを込めた個性ある物語を形成していました。二、三年生の作品は表現や登場人物の設定に深みがあり、一年生はその作品を見て先輩との差に焦る気持ちや、数年後にそんな深みと工夫の込められた文を作り上げられるようになりたいという憧れを感じることになりました。
 合評会は共感や賞賛の声が行き交い、とても良い雰囲気で行うことが出来ました。また、その中にはアドバイスも多く、気軽にアドバイスをし合える所で、この文芸部の仲の良さや信頼を感じることも出来ました。
 やはり「せせらぎ」を発行するだけではなく、合評会を開き文章の真意や工夫を共有し合うことで、お互いを高め合うことや仲を深めることに繋がり、よりよい作品作りをすることが出来るのだなと感じました。次回の「せせらぎ」発行時も、このような有意義な時間を過ごせたらと思っています。また、今回の合評会で学んだことを文章に活かせたら良いなとも考えています。
 以下にしるすのは、作者のこだわりや作品の感想をまとめたものです。ネタバレの塊なので、まずは「せせらぎ」189号に目をとおしてからこちらお読みくださいませ。なお「せせらぎ」189号は「文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険その23」に掲載されています。

「ずっと、大好きだから」
 主人公は学校にもまだ通っていない小さな女の子。子どもから見た家族の様子は難しくて、ママの入院のこともお葬式のこともよくわかっていないけれど、それでも新しい母親がママではないことがわかっている、そんな話。

「神様になった少年の話」
 主人公は、神様になった少年とかつての友人たちをひとつにつなげる役割を持って物語を回しているんだ。登場人物の選んだお供え物の花の花言葉にまでこだわりがあって、カタクリは「寂しさに耐える」、黄色の水仙は「私のもとに帰って」、ハナニラは「悲しい別れ」、ネリネは「また会う日を楽しみに」、白百合は死者への捧げ物。未来への希望はあるけれど、すこし悲しい話。

「返事のない星」
 ヒト、ニンゲン、とカタカナを使うことで主人公の人見知りな性格を表現している。たくさんの食べ物の描写をいれることで、食べることは生きることだから主人公たちが生きていることを表している。季節を表す表現を多く取り入れて、読者が主人公たちの感じる感覚を共有できるようになっている。

「身代わり姫と傀儡王」
 史実をもとに考えた作品。史実ではすべてが悲劇に終わってしまったから、幸せな物語として書き上げた。登場する二つの国の元ネタの国に合わせた言語ベースで名付けていたり、長めの話だけれど内容を短く章ごとに区切っていて読みやすかったりと、中世ヨーロッパの雰囲気を楽しみやすい作品。

「愛しい悪夢の中で」
 主人公は過去のトラウマから眠るたびに悪夢を見ている。そんな彼女が友人と夢の中でも会い、ほんの少しだけ悪夢を恐れなくなる話。人は誰しも多かれ少なかれ心に傷があって、他の人に傷を晒したりはしないが、それでも気づいてくれる友人との出会いが救いになる。

「思い出のお城」
 昔に見た白いお城をもう一度見てみたいというおじいさんと、いったいどのお城のことなんだろうと考えるおばあさんの話。歳をとっても仲が良く、孫たちとも一緒に映画を見るような関係を築けていて、とてもほのぼのとした世界が形作られている。

「おかえり」
 なによりも静寂を愛する主人公が、むかし美術館や図書館で会った「彼女」を探し求めてひとり山を登る物語。騒がしいことが嫌いな主人公が耳を澄ませてでも必死に「彼女」を探す姿勢には彼の執着とも言える愛が見える。彼が愛したのは「静寂そのもの」だった。

「一蓮托生」
 一蓮托生は、もとは仏教用語で「死後に極楽浄土に生まれ変わったときに同じ蓮の葉の上に生まれ変わること」。転じて良いことも悪いことも運命をともにすること。最期に二人が進んでいった夜の海は、生き残ろうと足掻けば助かることだってできた場所。それでも進んでいった二人の覚悟と、互いへの愛情が表されている。

 

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その24

◆『身代わり姫と傀儡王』番外編◆

 せせらぎ189号掲載『身代わり姫と傀儡王』の、公爵が主人公に身代わりの許可を出す場面と、ヴィッツェル王家の行く末です。ネタバレだらけなので、本編をお読みでない方は、ぜひ部誌のデジタル版を先にご覧ください。

〈身代わり姫が身代わり姫になるまで〉
 朝の身支度が終わるなり、エリーシアは私の手を引くと邸の客室に飛び込んだ。そこには準備の最後の仕上げのために一家全員が揃っており、「遅かったじゃないの」と眉を下げる母親に向かって彼女は叫んだのだ。
「わたくし、どうしても向こうで穏便にやっていける気がいたしませんの。アンヌに行ってもらうことはできませんか!」と。
 時が止まった。凍りついた空気の中でエリーシアの母が初めに口を開き、
「あなた、この期に及んで何を――」
 と云いかけたが、公爵はそれを手で制するなり、私をきっと睨めつけた。
「……ふむ、よかろう」
 失神しそうになって私に抱き留められる公爵夫人(このとき私は頭が真っ白になっても身体は咄嗟に動かせることを学んだ)、両手をつなぎ合って喜びの余りくるくる踊り始める姉妹、再び私を穴があくほど睨んでから「よし」と呟いて部屋から出ていく公爵。すべてがめちゃくちゃだ。どこが「よし」なのか。何もよくない。
  

〈後日譚・史記は語る(八章相当)〉
『ヴィッツェル王国史』第二十一章は、次のような文言で始まっている。
「第二十一代国王・フリーデリケ一世。王国史上初の女王にして、革命の動乱を鎮めながら王政の瓦解をも防いだ賢君。即位の十六年前に勃発した革命から身を守るためシエルージュに亡命、現地で培った語学力と文化への理解は優れた外交の手腕として発揮された」
 だが、その「亡命」の終わりがこんな身代わり結婚劇だったことを知る者は、今やシエルージュのシャンデル公爵家と、我がヴィッツェル王家に連なる者だけだろう。
 フリーデリケは七十二歳で天に召されるまで、公私に渡って国のために尽くし続けた女王だった。宰相家の横領と謀反の証拠をしっかり押さえて取り潰し、王政を取り戻し、その権力を濫用することなく民のことを第一に考えて行動した。没後、王位は長年支え合った王弟ルドルフに再び渡るはずだったが、祖父はこれを辞退し、彼とエリーシア妃との間に生まれた長女フリーデリケが戴冠式に臨んだ。それももう、三十年近くも前のこと。今日の新年祝賀会では、そのフリーデリケ二世が年内の譲位を宣言する。次に王冠を戴くのは彼女の長男……自分だ。
「大伯母上、貴女が愛し守り抜いた国を、無事に次の世代へ繋ぐことを誓います」
 軽やかなワルツが流れる宮殿――グルーフト(独語で「納骨堂」)城は偉大な姉弟の功績を讃えフリーデルフ城と改名された――の大広間で、誰にも聞かれないよう声を抑え、かの女王の肖像画を見つめながら呟いた。〈終〉

 

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その22

 梅雨入りをして、初めての豪雨。今家に帰ろうとすると、きっと後悔の残る結果になってしまうので、近くにある市立の図書館へ雨宿りをすることにした。
 図書館の中は冷房が効いていて、雨音だけが響いている。重たい荷物を下ろし、数学の参考書を開く。少しサボっていたこともあって、授業になかなかついていくことが難しくなっていたので、この状況はちょうどよかった。お気に入りのシャーペンを筆箱から取り出し、取り掛かる。古い本の独特の香りが不思議と集中力を高めてくれて、時間を忘れさせる。
 雨音が少し弱まり、優しい西日が差し込んでいることに気づいたころには、とっくに一時間が過ぎていた。そんなに長居をする気はなかったのに、同じ場所に居座り続けてしまったことに少し落胆しながらも、図書館を後にして最寄り駅まで歩き始めた。長い田舎道は雨で濡れたアスファルトの香りが立ち込めている。さっきよりも明るさを増した西日が道路に強く反射する。雨が降っていたとは思えないほど空気は暑くて、夏であることを感じさせる。
 図書館の最寄り駅から家の最寄り駅まで揺られ、約三十分。ようやく家に着いた。最近日が伸びてきたこともあってまだ少し空はオレンジ色に染まっていた。コンクリート壁にくっついたナメクジが地面に落ちたところで鍵を開けて家に入った。
 家の中は熱気がこもっていて、リュックを下ろすことを忘れて窓を思いきり開けた。さっきまでいた外の空気が予想以上に気持ちよく感じる。部屋の中が涼しくなった後、冷蔵庫にあったオレンジジュースをコップに注ぎ飲み干す。オレンジの清涼感が嗅覚や味覚を刺激する。ベッドに横になり枕元に置いてあった小説に手を伸ばし、それを読み始めた。やらなくてはいけないものはきっとある。だけどこの微妙な涼しさが私を駄目にしていく。
 ややあって、気が付いたころには小説が閉じられていて外は真っ暗になっていた。「お腹がすいた。」そう思い、自室からキッチンへ一直線に向かっていった。

 

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その21

隣の家にいたツバメが飛び立ったらしい。朝ご飯を食べていると、朝の散歩から帰ってきた母が教えてくれた。母は、ヘビが来ないか、カラスが悪戯をしないか、ちょくちょく心配していたので、とても嬉しそうだ。そんな話をしているうちに、学校へ行く時間の十分前になり、慌てて残りのパンを口に突っ込む。急いで準備をして、家を出発した。

「いってきまーす」

六月の朝六時過ぎだというのに、日差しはハワイのそれと同じようなものだ。それでも、昨日、夕立があったおかげか、風が少し吹いていて、ここ二、三日の中では一番涼しく感じられる。自転車を立ち漕ぎして、最寄り駅までの坂道を登っていく。五分も漕いでいると段々肌がべたついてきて、不愉快だ。

チュン チュン

朝の、暑いがそれでも澄んでいる空気に高い、高い鳴き声が響いた。減速をして、空を見上げると、小さい鳥が、十羽程だろうか、不慣れな様子で一生懸命飛んでいる。グッと目を凝らしてみると、それはツバメのヒナだとわかった。そこに一緒になって、スズメの小さいのも飛んでいる。また二羽その輪に加わった。どこから来たのかと見ると、道沿にある小学校の体育館の壁に小さいでっぱりを見つけた。最近、ゴミを漁るカラスや、駅で落ちているものを食べるハトなんかは、よく見かけるが、それ以外の鳥はというと、ほとんど見ない。楽しそうなツバメの様子を見ていると、自然と笑顔になっていた。母がツバメをかわいい、かわいい、と言う気持ちに確かに納得だ。自分でもわかるくらい上機嫌で、鼻歌を歌いながら、駅への坂道を登っていく。

 

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その20

◆『せせらぎ』188号合評◆
発行したのは2025年1月31日でした。2月にはいると学年末試験やら高校入試やらでいそがしく、3月には卒業式で3年生の先輩たちとお別れし、なんだかんだで春休み。なにをいいたいのかというと、『せせらぎ』は発行はしたものの合評をする機会がなかったという言い訳です。そうこうするうちに189号発行のために原稿をしあげる時期になってしまうので、われわれは重い腰をあげて、5月2日金曜日の放課後図書室に集まりました。新入部員にも参加してもらい、総勢7名のにぎやかな会になりました。じぶんでいうのもなんですが、太女文芸部の作品は個性的なものばかりです。発想にしても表現方法にしても独自な世界をつくりあげています。おたがいの作品を評価しながら、じぶんには足りないものに気づけたよい時間でした。以下、「わたし」がそのようすをまとめたものを掲載します。じっさいの作品は「文芸少女折下ふみかの冒険」その14で公開しています。ぜひおよみください。

「ひとりになりたい池井君」
A クラスで孤立しているようにみえる「池井君」に興味本位で話しかける女子高生「私」の顚末を描いた作品。
B「私」のJKぶりがリアリティをもっているよね(まあ女子が書いてますから)。
C「背後にきゅうりを置かれた猫みたい」だとか「冷たい水を飲み込んだときのように」といった直喩が効果的です。
D「私」、「僕」といった登場人物の一人称が語りとして巧みに描き分けられているなかに、突如「背後で鳴った、空気のこすれる音は聞こえなかった」という第三者視点をおりこむ技がみごとです。
E ひとりぼっちであるような「池井君」がどうしてひとりになりたいのか、その結末がこわいけどほのぼのしちゃうのはなぜかしら?
F 全篇がコミカルなタッチだからじゃない?
G でも、閠ウ縺ョ荳ュ縺ォ逡ー蠖「縺後>繧九→縺?≧逋コ諠ウ縺後>縺?〒縺吶h縺ュ縲らァ?騾ク縺ァ縺吶?
A ネタばれ厳禁!

「記憶のカケラ」
B 余命宣告をうけている母親が娘のために残りの人生を強気に生きてゆこうと決意する話。
C「私」はその病気の症状として記憶に障害があるんですよね。そのせいで自分があとどれくらい生きられるのかも忘れている。
D この小説は「私」と娘とが「ブランデーケーキ」についてやりとりする午後のひとときを描くことで「私」だけが抱えるのではない記憶のはかなさにふれています。
E 記憶ははかないものだけど、だからこそその「カケラ」だけでも残るように人間関係を濃密にすることがだいじなんだなとおもいました。
F ひとは死んでもその記憶の中に生きられるはず。そのための「濃密さ」ってことね。
G ひとはだれでも死ぬけれど、その宿命を悲観するのではなく、死ぬまでを前向きに生きることで「私」は娘の記憶の中に断片的でもかまわないから生き続けようとつとめる。
A やがておとなになった娘は「ブランデーケーキ」を口に運ぶたびに母親を思い出すにちがいないですよね。
B まるで『失われた時を求めて』の「マドレーヌ」みたいね。

「お昼の給食」
C 小学5年生と3年生の息子をもつ母親が息子たちの会話をきっかけに給食を懐かしく思い出し、お昼にじぶんがすきだった給食を再現する話。
D 献立は「若鶏のマリネ」「ふわふわ卵のイタリアンスープ」「小松菜のサラダ」。どれもおいしそう。
E「幸子」が子どもころは学校に調理室があったという設定なんですよね。そんな時代もあったんですね。
F その献立を「幸子」が調理してゆくようすが克明に描かれてゆきます。
G 材料の分量が描けていれば完璧なレシピ小説ですよね。
A いまどきはレシピサイトやYouTubeなどで調理の手順が動画で紹介されていますけど、その小説版ですよね。
B オノマトペを一行書きにするくふうがいいと思いました。
C そうね。リズミカルな音がせまってきて臨場感がでているよね。
D 調理する「幸子」の高揚感も感じ取れるよね。できあがった「給食」を子どもにかえったようにおいしそうに食べる描写がとてもいい。おなかすきます。
E 日常のなかのささやかな非日常をへてふたたび日常(家事のつづき)にもどってゆく構成もよかった。

「幽霊城の籠り姫」
F 幽霊を見ることができる「エミリー」が幽霊屋敷に住み込んで幽霊の貴族令嬢「ソフィア」と仲良くなる話。
G 幽霊が骸骨という設定がおもしろい。というか、おもしろく読めちゃう。
A 全体的にゴシック・ロマンというよりは上品でコミカルなスラップスティックを描こうとしている気がします。
B ホラーじゃなくてサスペンスだよね。どうして彼らが幽霊として生きているのかとか、「百年の契約」とはなにかかとか、謎がたくさんちりばめられているもんね。
C すべてがうまく回収された長篇としての完全版をよみたくなります。
D「トルコ石の指輪」という小道具が神秘的な雰囲気をじょうずに演出していますね。
E 異国情緒というか異世界情緒というかがたくみに表現されているんだよね。

「ものがたり」
F 古本屋で「ある」古本をたどってゆくことで大学時代の先輩と後輩がめぐりあう話。
G 古本の個性的な「書き込み」が手がかりってところがドラマチックです。
A 本に感想とか書きこんじゃう人ってあまりいませんよね?
B わたしはするよ。おもいついてことをどんどんかいちゃう。
C じゃあ、あなたが「モデル」?
D 現実的かそうじゃないかじゃなく、その書き込みに後輩らしさがあって、むかしを懐かしんで惹かれてゆく心理がいいとおもう。
E 宝さがしめいていてわくわくするよね。「秘密の書籍」みたいでさ。
F まさにそれね。宝のありかを示しているのが持ち主の書き込みってところがロマンチック。
G 書物をめぐる書物の冒険だよね。

「彗星」
A 彗星を見るために高校の天文部の観察会に参加するふたりの高校一年生の話。
B とにかく高校生活がたのしそうにえがかれていていい。
C 男子も女子もいる共学校のリアルがある気がしました。描写も会話もとても自然でのめり込めます。
D とかく「文芸部」を舞台にしがちだけれど「天文部」にしているあたり心憎いですね。
E へんてこな恋愛関係ではなく、部活をたのしむまっとうな交友関係を描いているところに好感が持てます。
F ただ彗星がみたかったふたりの男子高校生がその体験をとおして、天文部員になるという展開がよくできていると思いました。
G「金木犀が甘く香る季節、放課後の西日が照らす教室に二人の影があった」という冒頭の一文がとてつもなくブンガク的です。
A「『天文部へようこそ』」という結びの一文が物語をとてもじょうずに締めくくっているよね。

「柳のところの幽霊さん」
B 自分にとりついた幽霊から逃れたい「栁」という少女とじつはその少女が大けがしないように監視している幽霊のすれ違いドラマ。
C 作者によるとアンジャッシュのすれ違いコントがヒントになっているそうで。
D 幽霊が自分の二の舞にならないように「柳」を見張っているのに、その幽霊を怖がっていてなんとか逃れようとする設定がおもしろいですよね。
E 幽霊が親切にすればするほど「柳」は恐怖のどん底に陥っちゃうわけですよね。
F だからといって幽霊が彼女を見捨てれば彼女は死んでしまうかもしれない。
G その組み立てをとてもじょうずに説明しているのがQ&Aの構造ですね。
A「私は、どうしたら助かりますか?」
B「何もしないでください」
C 絶妙な掛け合いですよね。

*「俳句」は太田高校文芸部との冬の合同句会のときにつくったもの、「短歌」は群馬県総合文化祭文芸部門の交流会のときにつくったものです。
*「受かれメロス」は予餞会の出し物を4コマ漫画風にアレンジしたものです。
*「りぶろういるす」は顧問創作のため割愛しました。

 

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その19

ある日の、嬉しいことがいっぱいあった帰り道のことを話そうと思います。まず、学校から駅までの歩き道です。道沿いの家で白と黒のまだら模様の猫を飼っている家があります。その家は風除室があって、そこに椅子が1脚あるんです。朝はたまに猫がそこで寝ていることがあるのすが、放課後通りかかるときは今まで一度も猫の姿を見たことがありません。でも、その日は放課後にも関わらず、猫が椅子の上に座っていました。そのとき、猫は起きていて、私が手を振るとそれに反応したかのように目をギュッと細めました。かわいくて、かわいくて、少し立ち止まってしまいました。その気持ちでルンルン歩いていると、いつもは、発車時刻ギリギリに駅に着くのに、発車5分前くらいには駅に着きました。時間に余裕があるっていいなって感じますね。次に、電車の中でのことです。いつもはかなり混んでいる時間帯の電車なんですが、その日はいつもより空いていて、座ることができました。ぼーっとしながら乗っていると、電車の向きが少しかわったとき、オレンジ色の光が私の顔に当たりました。普段は向かいの椅子にも人がいるので、外の景色は見えないのですが、その日は空いていたため椅子の端にしか人がいなくて、外の景色が見えました。大きく赤い夕陽がきれいで、小さく黒いカラスも見えました。今は春と夏の間くらいではありますが、この前授業で習った枕草子の冒頭の「秋は夕暮れ」を思い出して、なんだか嬉しくなりました。そしてゆらりゆらり電車に乗って、地元の駅に到着です。そこから家まで自転車で帰ります。家の近くまできたとき、自転車で乗っている3人の外国人に「コンバンハー」と明るく声をかけられました。私は少しびっくりして、反応が遅れて、自転車同士ですれ違った後、後ろを振り返って「こんばんは」と言い返しました。その人たちとは、ほぼ毎日同じ時間くらいにすれ違いますが、今まで挨拶をしたことはありませんでした。毎日すれ違うから、相手も覚えてくれたんだかわからないのですが、やっぱり挨拶をされると暖かい気持ちになりますね。笑顔で家に帰ったら、母に「なんかいいことでもあった?」と聞かれて、その日の夕食時に帰り道のことを少し誇張しながら話しました。

 

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その18

  疲れた。本が読みたい。
 目の前には、私が目を通すべき書き物が大量に積んである。予習しなくてはいけない教科書たち。復習を始めなくてはいけない問題集たち。
 でも、違う。どれも私が読みたい文字ではない。
 確かに、国語の教科書には物語が載っている。古典作品だって平たく言えば物語であることが多いだろう。
 窓から差し込む夕暮れ色の光が、我が家のリビングを鮮やかな橙色に染め上げる。オレンジ色の陽光はまばゆいほどローテーブルを照らすが、ソファの横は黒ぐろとした影を落としている。
 私はその黒ぐろとしたソファの影に何冊かの教科書を投げ捨てた。そのままの勢いでソファの背もたれに沈み込む。
 国語の教科書はまだいい。現代文も古文も漢文も、物語がある。
 ただし、数学、化学、生物、物理。こいつらはダメだ。なんの物語もない。新発見に至るまでの道のりや研究歴史からは人々の辿った営みが垣間見えるかもしれないが、いったい教科書の何パーセントだというのだろう。疲れて鈍った頭では、文字の奥に見える人々の人生や、感情や、そんな文字の奥の風景に思いを巡らす余裕がない。
 もっと手っ取り早く、鮮烈な景色が見たい。白い紙に黒いインクが印刷されただけの存在にもかかわらず、現実以上に色彩にあふれた景色を映し出してくれる、そんな物語が読みたい。
 しかし、どんなに心から願ったとて、現状やらなければならないことが減るわけでもなく。目の前の課題の山が消えることもなく。重たいため息の数と過ぎ去った時間だけが増えていく。
 物語を読んでいる間だけは、この現実(課題の山)を忘れられる。別人の人生を歩むことができる。この人生が一度しかないものでも、物語を通して私は誰にでもなれるし、なんにでもなれる。いま私は別の(課題のない)人生を歩んでみたい気分だ。
 オレンジ色の夕陽は濃い赤色に変わって、電気のついていないリビングは薄青い闇が這いのぼるように薄暗くなってきた。
 そろそろこの物語に思いを馳せる(現実逃避の)時間も終わらせないといけないようだ。重力二割増しくらいの重さの体をどうにかソファから引き上げて、部屋の明かりをつける。パッと明るくなった部屋には、もう夕暮れの色は残っていない。
 蛍光灯の無機質な光は、教科書の無機質な文章をやたらと強調する。学校の授業だけで情報が飽和した頭はぼんやりと痛むが、それでも教科書に目を通さない理由にはならない。
 まだまだ溢れ出るため息を噛み殺しながら教科書の山に手を伸ばした。せめてもの抵抗に伸ばされた手は古典の教科書をつかむ。
 ページを開く。読む。匂いがする。ここじゃない場所の。花の匂い。月を見上げる夜の匂い。別れを告げる朝焼けの色が見えて、気がつけば見知らぬ世界に一人立っている。誰かを呼ぶ声。火花がぱちぱちと弾ける音。
 ガラガラと小さな滑車が回る音。は、と意識が戻る。玄関が開く音。母が帰ってきた。
「ただいま」
「……おかえり……」
 ここは? リビング。なにをしていた? 読んでいた。教科書を読んでいた。
「はあ……」
 体の中をぐるぐると巡っていた感情が呼吸にのって外に溢れていく。このため息は、今までとはまったく別物だった。
 母はこんな私の様子に慣れているからか、ちらりと私の方に目線を投げかけるだけで特に何も言わない。
 さすがは時代を超えて残った名作たち。読み始めれば、今も昔も変わらない人々の感情の移ろいが目の前に現れては消えていく。乗り始めた気分をそのままに、今度は現代文の教科書を手に取った。
 数学、化学、生物、物理の教科書たちは、ソファの横に落とされたままひっそりと、ただそこにあった。