2025年7月の記事一覧
文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その24
◆『身代わり姫と傀儡王』番外編◆
せせらぎ189号掲載『身代わり姫と傀儡王』の、公爵が主人公に身代わりの許可を出す場面と、ヴィッツェル王家の行く末です。ネタバレだらけなので、本編をお読みでない方は、ぜひ部誌のデジタル版を先にご覧ください。
〈身代わり姫が身代わり姫になるまで〉
朝の身支度が終わるなり、エリーシアは私の手を引くと邸の客室に飛び込んだ。そこには準備の最後の仕上げのために一家全員が揃っており、「遅かったじゃないの」と眉を下げる母親に向かって彼女は叫んだのだ。
「わたくし、どうしても向こうで穏便にやっていける気がいたしませんの。アンヌに行ってもらうことはできませんか!」と。
時が止まった。凍りついた空気の中でエリーシアの母が初めに口を開き、
「あなた、この期に及んで何を――」
と云いかけたが、公爵はそれを手で制するなり、私をきっと睨めつけた。
「……ふむ、よかろう」
失神しそうになって私に抱き留められる公爵夫人(このとき私は頭が真っ白になっても身体は咄嗟に動かせることを学んだ)、両手をつなぎ合って喜びの余りくるくる踊り始める姉妹、再び私を穴があくほど睨んでから「よし」と呟いて部屋から出ていく公爵。すべてがめちゃくちゃだ。どこが「よし」なのか。何もよくない。
〈後日譚・史記は語る(八章相当)〉
『ヴィッツェル王国史』第二十一章は、次のような文言で始まっている。
「第二十一代国王・フリーデリケ一世。王国史上初の女王にして、革命の動乱を鎮めながら王政の瓦解をも防いだ賢君。即位の十六年前に勃発した革命から身を守るためシエルージュに亡命、現地で培った語学力と文化への理解は優れた外交の手腕として発揮された」
だが、その「亡命」の終わりがこんな身代わり結婚劇だったことを知る者は、今やシエルージュのシャンデル公爵家と、我がヴィッツェル王家に連なる者だけだろう。
フリーデリケは七十二歳で天に召されるまで、公私に渡って国のために尽くし続けた女王だった。宰相家の横領と謀反の証拠をしっかり押さえて取り潰し、王政を取り戻し、その権力を濫用することなく民のことを第一に考えて行動した。没後、王位は長年支え合った王弟ルドルフに再び渡るはずだったが、祖父はこれを辞退し、彼とエリーシア妃との間に生まれた長女フリーデリケが戴冠式に臨んだ。それももう、三十年近くも前のこと。今日の新年祝賀会では、そのフリーデリケ二世が年内の譲位を宣言する。次に王冠を戴くのは彼女の長男……自分だ。
「大伯母上、貴女が愛し守り抜いた国を、無事に次の世代へ繋ぐことを誓います」
軽やかなワルツが流れる宮殿――グルーフト(独語で「納骨堂」)城は偉大な姉弟の功績を讃えフリーデルフ城と改名された――の大広間で、誰にも聞かれないよう声を抑え、かの女王の肖像画を見つめながら呟いた。〈終〉
文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その23
文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その22
梅雨入りをして、初めての豪雨。今家に帰ろうとすると、きっと後悔の残る結果になってしまうので、近くにある市立の図書館へ雨宿りをすることにした。
図書館の中は冷房が効いていて、雨音だけが響いている。重たい荷物を下ろし、数学の参考書を開く。少しサボっていたこともあって、授業になかなかついていくことが難しくなっていたので、この状況はちょうどよかった。お気に入りのシャーペンを筆箱から取り出し、取り掛かる。古い本の独特の香りが不思議と集中力を高めてくれて、時間を忘れさせる。
雨音が少し弱まり、優しい西日が差し込んでいることに気づいたころには、とっくに一時間が過ぎていた。そんなに長居をする気はなかったのに、同じ場所に居座り続けてしまったことに少し落胆しながらも、図書館を後にして最寄り駅まで歩き始めた。長い田舎道は雨で濡れたアスファルトの香りが立ち込めている。さっきよりも明るさを増した西日が道路に強く反射する。雨が降っていたとは思えないほど空気は暑くて、夏であることを感じさせる。
図書館の最寄り駅から家の最寄り駅まで揺られ、約三十分。ようやく家に着いた。最近日が伸びてきたこともあってまだ少し空はオレンジ色に染まっていた。コンクリート壁にくっついたナメクジが地面に落ちたところで鍵を開けて家に入った。
家の中は熱気がこもっていて、リュックを下ろすことを忘れて窓を思いきり開けた。さっきまでいた外の空気が予想以上に気持ちよく感じる。部屋の中が涼しくなった後、冷蔵庫にあったオレンジジュースをコップに注ぎ飲み干す。オレンジの清涼感が嗅覚や味覚を刺激する。ベッドに横になり枕元に置いてあった小説に手を伸ばし、それを読み始めた。やらなくてはいけないものはきっとある。だけどこの微妙な涼しさが私を駄目にしていく。
ややあって、気が付いたころには小説が閉じられていて外は真っ暗になっていた。「お腹がすいた。」そう思い、自室からキッチンへ一直線に向かっていった。
文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その21
隣の家にいたツバメが飛び立ったらしい。朝ご飯を食べていると、朝の散歩から帰ってきた母が教えてくれた。母は、ヘビが来ないか、カラスが悪戯をしないか、ちょくちょく心配していたので、とても嬉しそうだ。そんな話をしているうちに、学校へ行く時間の十分前になり、慌てて残りのパンを口に突っ込む。急いで準備をして、家を出発した。
「いってきまーす」
六月の朝六時過ぎだというのに、日差しはハワイのそれと同じようなものだ。それでも、昨日、夕立があったおかげか、風が少し吹いていて、ここ二、三日の中では一番涼しく感じられる。自転車を立ち漕ぎして、最寄り駅までの坂道を登っていく。五分も漕いでいると段々肌がべたついてきて、不愉快だ。
チュン チュン
朝の、暑いがそれでも澄んでいる空気に高い、高い鳴き声が響いた。減速をして、空を見上げると、小さい鳥が、十羽程だろうか、不慣れな様子で一生懸命飛んでいる。グッと目を凝らしてみると、それはツバメのヒナだとわかった。そこに一緒になって、スズメの小さいのも飛んでいる。また二羽その輪に加わった。どこから来たのかと見ると、道沿にある小学校の体育館の壁に小さいでっぱりを見つけた。最近、ゴミを漁るカラスや、駅で落ちているものを食べるハトなんかは、よく見かけるが、それ以外の鳥はというと、ほとんど見ない。楽しそうなツバメの様子を見ていると、自然と笑顔になっていた。母がツバメをかわいい、かわいい、と言う気持ちに確かに納得だ。自分でもわかるくらい上機嫌で、鼻歌を歌いながら、駅への坂道を登っていく。