文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その34

段々と肌寒くなり、冬の気配がする季節となった。道を歩いていると金木犀の匂いが漂い、秋の深さを感じる。紅葉や銀杏が色づき始めるのもこの時期だ。最近、家までの帰り道に銀杏の実がよく落ちている。余談だが、銀杏の実を食べるときにいつも実の鮮やかな黄緑色に驚かされる。お前、そんな色をしてたのか。
それはさておき、今回は私をノスタルジーな気持ちにさせるものについて書こうと思う。このお題も、ある意味秋らしくていいんじゃあないかと勝手に思っている。
突然だが、私は夕暮れが好きだ。太陽が地平線の彼方に沈んでいくあの様が好きだ。それに伴ってできる空も好きだ。オレンジでもなければ紫でもないあの曖昧な空の色が好きだ。私は好きなものを見てノスタルジーを感じるわけではないのだが、何故か夕暮れをみると切ない気持ちになってくるのだ。俗に言う「エモい」というやつなのだろうが、その三文字では収まらない“何か”が胸の中からこみ上げてくる。その“何か”に名前を付けたいが、私はそれにぴったり収まる名前を知らない。なので、近しいであろう「ノスタルジー」という言葉を使っている。この“何か”は、なにも夕暮れを見てるときだけ出てくるわけではない。日常の様々な場面に出てくるのだ。例えば、雨が降っている音を一人で聞いているとき。しとしとと降る雨音をぼんやりと聞いていると、得も言われぬ気持ちになる。また、神社や寺に行ったときもそうだ。古い建物を前にすると私の心は“何か”にとりつかれる。さらには秋という季節にも反応する。落葉を見ると例のやつが顔をだしてくるのだ。これらを書いていて今思ったのは「どれも儚いものだな」という感想だが、「本当に儚いだけですむ話か?」とも同時に思った。やはり言葉がでてこない。よく分からない感覚であることに変わりはないらしい。
だが、この感覚は嫌いではない。むしろ好きなほうである。胸の奥が締め付けられるが、不思議と心地がいい。物悲しくなることには変わらないのだが、何故か嬉しく感じるときもある。感性が人よりも豊かなのだろうか。何度考えても答えは未だにでない。
私はいつか、この答えを出したい。いつになるかは分からない。だが私はずっとこの気持ちと生きていくことになるだろう。現代は、人生100年時代と言われている。100年のうちのどこかでならきっと見つかるだろう。そう信じて生きていくことにする。いつか自分の言葉で、この感情を表現したい。