カテゴリ:文芸部
文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その35
10月25日土曜日。土曜学習を公欠し、私たち文芸部が向かったのは高崎音楽センターであった。第31回群馬県高等学校総合文化祭の文芸部門交流会に参加するためだ、慣れない切符の購入に戸惑うこともあったが、何とか協力して高崎駅へ到着することが出来た。道中では文芸部員内の絆がさらに深まったように思う。
高崎音楽センターの会場前の公園で小ぬか雨にうたれながら食事をしていると、見覚えのある方々がいた。GWの直前に私たちと交流会をしてくださった太田高校文芸部の皆さんだ(そういえばあの日も雨だった。金山登山をあきらめて大光院まで散歩してから太女で句会をひらいたのでした)。面識があるからか、わざわざおもてに出てきてくれて、話しかけてくださり、待ち時間……というかお昼ご飯を食べる時間は、雨天に打ち勝つほど晴れやかな気持ちで過ごすことが出来た(途中から会場内で食事をさせてもらいました)。
交流会は13:30にスタートした。まずは第20回群馬県高校生文学賞表彰式がとりおこなわれた。残念ながら今年度は太女文芸部からの受賞はなく悔しい結果となったものの、表彰されている他校文芸部諸氏の背中を見て、次こそは……という燃え立つような向上心に繋がったのは良かった。
表彰式後には、句会が行われた。今回の句会は10人でひとつのグループをつくり、参加者が事前に提出した俳句三句を見せ合い、評価するという形で行われた。最初は緊張から小声であったり、極力話さない人が多かったが、じょじょに打ち解けてきて、相手の俳句の良さを伝え合うことのできる穏やかな空気になっていった。交流会を通し、他の文芸部の活動の様子を知ること、他校の方々と交流する機会を作ることができた……そう実感し、私は交流会の開催の意義を知った。
句会の最後にはグループ内の投票で優秀者を決めることに。私たち太田女子高校からもひとりの文芸少女が優秀賞に選ばれて面目躍如たるものがあった。部員のひとりとしてとても喜ばしかった(私じゃなかったのはくやしいけど)。これからのコンクールや句会などでよりよい作品をつくりあげることができるように、今後も部誌などの機会を通して精進していきたいとつよくおもった。
太女生の俳句
香り立つ金木犀の通学路
朝冷や淋しさに泣く曇り空
今はなきかつてを想う秋の暮
指絡み濁り酒には酔えぬまま
木犀の香に踊らされ覚めぬ夢
コスモスの色に魅せられ揺れる影
赤と黄の唐衣(からぎぬ)纏った山粧(よそお)う
丸っこい頬と銀杏我が子の笑顔
帰り道夕日で染まった赤とんぼ
また一つ秋を浮かべて錦かな
空渡り雁と見紛う飛行機よ
読書の秋ふと窓見ればつるべ落とし
金木犀頬をなでる六限目
秋の苦か昔を思う平均点
さわさわさわ食欲を呼ぶ稲の音
文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その34
段々と肌寒くなり、冬の気配がする季節となった。道を歩いていると金木犀の匂いが漂い、秋の深さを感じる。紅葉や銀杏が色づき始めるのもこの時期だ。最近、家までの帰り道に銀杏の実がよく落ちている。余談だが、銀杏の実を食べるときにいつも実の鮮やかな黄緑色に驚かされる。お前、そんな色をしてたのか。
それはさておき、今回は私をノスタルジーな気持ちにさせるものについて書こうと思う。このお題も、ある意味秋らしくていいんじゃあないかと勝手に思っている。
突然だが、私は夕暮れが好きだ。太陽が地平線の彼方に沈んでいくあの様が好きだ。それに伴ってできる空も好きだ。オレンジでもなければ紫でもないあの曖昧な空の色が好きだ。私は好きなものを見てノスタルジーを感じるわけではないのだが、何故か夕暮れをみると切ない気持ちになってくるのだ。俗に言う「エモい」というやつなのだろうが、その三文字では収まらない“何か”が胸の中からこみ上げてくる。その“何か”に名前を付けたいが、私はそれにぴったり収まる名前を知らない。なので、近しいであろう「ノスタルジー」という言葉を使っている。この“何か”は、なにも夕暮れを見てるときだけ出てくるわけではない。日常の様々な場面に出てくるのだ。例えば、雨が降っている音を一人で聞いているとき。しとしとと降る雨音をぼんやりと聞いていると、得も言われぬ気持ちになる。また、神社や寺に行ったときもそうだ。古い建物を前にすると私の心は“何か”にとりつかれる。さらには秋という季節にも反応する。落葉を見ると例のやつが顔をだしてくるのだ。これらを書いていて今思ったのは「どれも儚いものだな」という感想だが、「本当に儚いだけですむ話か?」とも同時に思った。やはり言葉がでてこない。よく分からない感覚であることに変わりはないらしい。
だが、この感覚は嫌いではない。むしろ好きなほうである。胸の奥が締め付けられるが、不思議と心地がいい。物悲しくなることには変わらないのだが、何故か嬉しく感じるときもある。感性が人よりも豊かなのだろうか。何度考えても答えは未だにでない。
私はいつか、この答えを出したい。いつになるかは分からない。だが私はずっとこの気持ちと生きていくことになるだろう。現代は、人生100年時代と言われている。100年のうちのどこかでならきっと見つかるだろう。そう信じて生きていくことにする。いつか自分の言葉で、この感情を表現したい。
文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その33
今、ネット上ではボーカロイドが歌唱する「ボカロ曲」というものが数多く投稿され、人気を集めている。この私もそのボカロに魅了されている一人である。人間離れした高音や早口を真似して歌えるかチャレンジしたり、落ち着いた曲を聴いてこのボーカロイドはぴったりの声をしているな、と考えたり……昔からボカロが好きだったからか、検索履歴をもとに出てくるのはボカロ曲ばかりで、あまり人が歌う曲に触れる機会がなかった(流行しているアニソンであったりは聴いてみているけれど)。とにかく何が言いたいかというと、私は投稿されたのが昔の大人っぽい曲をあまり知らないのだ。興味はあるけれど。
そんな中、この前珍しくYouTubeのおすすめに10年も前の曲が流れてきた。椎名林檎さんの「長く短い祭」である。好奇心で再生ボタンを押すと、私は一気にその曲に引き込まれた。リズム感、声・メロディの色っぽさ、歌詞の洒落た言い回し、MVのストーリー性……どれも私の好みであった。感銘を受けた私は興奮した様子で何度もリピートをしていた。
「ただいまー」
お母さんが帰ってきた。夕飯の準備をしに台所に向かっていく。数分間お母さんは何も言わずただ料理をしていたが、唐突に「椎名林檎さんの?」と訊いてきたので、私はこの曲に夢中になった経緯を鼻息を荒くしながら話した。「まさか10年前の曲にこんなに夢中になるなんて……私はボカロ曲とかばっかり聴いてたせいで、そういうのは合わないって思ってたよ」そう言うとお母さんはふふっと笑い「歴史は繰り返すからねぇ」と言った。ほう、と私が相槌を打つと、お母さんは話を続けた。「若い子でも結構昔の曲を好きになる子は多いよ。昔だろうと何だろうと、素敵な曲は素敵な曲だからね。」
それを聞いたとき、確かになぁと腑に落ちた。例え昔の曲だろうと、昔有名になったのだから、それ相応の魅力があるのだ。 私の中で、昔の曲は合わないという考えがあったのが不思議だ。いや、以前から気になってはいたのだ。深く足を踏み入れていなかっただけで。ああいった曲に憧れはあった。おそらく、流行に合わせようという考えが昔の曲に触れる邪魔をしていたのかもしれない。誰がどの曲を歌おうと構わないのに……。今後は自分の気になった曲は迷わず聴いてみようと思えた。
これは私の中で大きな転機だ。読み手の方々は大げさだなぁと思っているかもしれないが、自分の中では大きな、素晴らしい変化なのだ。きっと誰にでもそういった瞬間がある。そうして得た晴れやかな気持ちを、私は大切にしているのだ。今この瞬間私だけが感じている、そう考えてみれば素晴らしいとは思えないだろうか。
話が少しずれてしまったので、そろそろ締めようと思う。素敵な曲に出会えたことで、私は素敵な考えをするに至れた。そこで皆さんにもこの曲を是非聴いてみてほしい。私と同じくらいの年の方にも、そうでない方にも。既に「長く短い祭」を知っている方も、当時の思い出に浸るつもりでもう一度。私の中で変化があったように、皆さんに新たな発見や変化が起こると嬉しい。
文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その32
◆文藝少女夏の一日◆
顧問のTセンセーから「連歌」をつくるという夏休みの課題がだされました。なんでもセンセーがたまたまみた「NHK短歌」という番組で連歌をつくるコーナーが紹介されていてそれにいたく感銘を受けたということらしいです。「連歌っていうのは短歌の上の句と下の句をそれぞれべつな人間が詠み継いでゆく文芸なんだけど、他人が紡いだことばのつらなりから刺激をうけたじぶんのことばをつなげてゆく行為がとてつもなく自由でたのしそうだったのよ」なるほど。とはいえ上の句、下の句と順番に詠みつないでゆくのでは時間がかかりすぎるということもあり、太女連歌の独自ルールをつくって作歌することにしました。
《太女連歌ルール》
①テーマは「文藝少女夏の一日」
②ポイントごとにコモンがあらかじめ句を詠んでおく
③部員の担当箇所を指定しておく
④指定された箇所から「一日」をイメージして好き勝手に詠む
こんな感じです。
ずいぶん乱暴な連歌ですが(はっきりいって連歌でもなんでもありませんが)、なんとか完成しました! わたしたちとしては大満足なんですけど、センセーのイメージとはじゃっかん食い違いがあるようで、「ううむ。写実的で説明的すぎて、あまり『詩的』な印象をうけないなぁ。短歌や俳句ではもっと大胆なことばつかいをめざしてみようよ」ってことでした。まあ、それはこれからの課題として、まずはできあがった私たちの連歌をご覧ください。文芸少女の夏の(アツい)一日が浮かびあがってきますよ。
朝 1 目覚ましはサティの曲と決めている コモン
2 暑い朝日と冷たい目覚め ラギ
3 顔洗う出てくる水はもはやお湯 銀平糖
4 意識はシャキリ腹の音がなる 幻想翡翠
5 朝食はたまごサンドと冷えたお茶 神樂坂
6 腹満たし今日の予定に思い馳せ みみず
7 進まぬ気苦手教科を取り出して ラギ
8 青チャを広げ机に突っ伏す 銀平糖
9 脳内で数字がタンゴ踊ってる 幻想翡翠
10 風で風鈴はらはら踊る 神樂坂
昼 11 空腹は忘れたころにやってきて コモン
12 扉開けどうせだからと外食を みみず
13 涼しげな風鈴とともに扉抜け ラギ
14 悩んだ末に定番メニュー 銀平糖
15 食べ終えてドアを開けたら青い空 幻想翡翠
16 日は強けれど風心地よく 神樂坂
夕 17 少しだけそう言い聞かせお散歩へ みみず
18 稲の揺らめく碧緑の中 ラギ
19 スーイスイあめんぼたんぼかわいいなぁ 銀平糖
20 夕闇の中星が輝く 幻想翡翠
21 音を立て煌めく空を纏う宵 神樂坂
22 美しき景色に見惚れ立ち止まり みみず
夜 23 「ごはんだよー」食卓の上に天の川 ラギ
24 母の天麩羅天昇る旨さ 銀平糖
25 風呂入り今日の疲れも吹き飛んだ 幻想翡翠
26 洋服選び明日を思う 神樂坂
27 何しよう思う時間は明日への投資 みみず
28 新しい明日新たなわたし コモン
文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その31
ブラウスを着てリボンを結ぶ。靴下をはく。いつものことだが、なにかソワソワして落ち着かない。落ち着かないのにいつもより時間に余裕があって、入念に髪の毛を整える。昨日切りそろえた前髪がヘンじゃないか不安になる。きっとこんな気持ちになるのは今日が私にとって特別な日、「誕生日」だからなのだろう。そんなことを思い巡らしているうちに時間は着々と過ぎていき、気づけばいつもの時間になっていて、私は急いで家を飛び出した。
「誕生日」って言葉だけでワクワクする。古びたローファー、風で崩れた前髪、日光を反射させる腕時計、ありふれたいろんなものが私を幸せにさせるラッキーアイテムのようだ。
学校に着くころにはその気持ちは収まっていて、教室までの長い道のりを重たい荷物と葛藤しながら進む。誰かが祝ってくれるかなんてあまり考えないようにして、それでも、かなり期待している自分と、祝われなかった時のために期待をしないようにしている自分、全部受け止めて、なにも考えずに教室のドアを開け席に向かう。
日の光を浴びた艶のある髪を一つに結った私の友達と目が合い、挨拶を交わすと、「今日誕生日だったよね? おめでとー!」と優しい笑顔で私を祝ってくれた。うれしくてうれしくて、ありがとうと言った後もなかなか口角が下がらなかった。それを聞いていたクラスメイトたちも私の誕生日を祝ってくれ、期待していた気持ちがボロボロに打ち砕かれることなく朝が終わった。
眠たくなるような(先生方ゴメンナサイ!)数々の授業を乗り越え、待ちに待ったお昼の時間。腹をすかせた女子高生の食欲はピークを迎え、そそくさとお弁当を広げた。友達と他愛もない話をしながらご飯を食べているとき、なにやら少し高そうなお菓子をもらった。お菓子なんていくらあってもいいですからね、「誕生日」だからダイエットは明日から、ううん、後夜祭もしたいから明後日からで。消費カロリーより摂取カロリーが多くなってしまうのは仕方がないよ、女子高生の食欲を侮るなかれ。きっとそれは運命に近くて逆らえない誘惑だもん。午後の授業で眠くなることなど関係なしにそれを頬張る。きっとこれを人は「幸せ」と呼ぶんだよね。
私は私なりに「誕生日」を大満喫できたのでした。