カテゴリ:文芸部
文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険その8
「大森暁生展に行ってきたーーーーーー!」
9月15日、文芸部の石原さんが県立館林美術館に行ってきたそうです。企画展「霊気を掘り出す彫刻家 大森暁生展」をやっていて、100点を超える作品を見ることができたらしいです。一ヶ所をのぞいて撮影OKだったから、たくさん(というかほぼ全部)撮ってきたよ! と言って、私に見せてくれました。その中で、一番上手く撮れた、という写真と、一番気に入った作品の写真を送ってもらいました。
左が上手く撮れたという写真、右が一番気に入ったという作品の写真です。「これが一番気に入ったやつ」と写真を見せてもらったとき、何とも言えない気持ちになりました。だって、血でできた蝶みたいな作品ですよ? どこが気に入ったのか聞けば、「綺麗だったから」とのこと。たしかにきれいだけど……。ちなみに、左側の写真の作品の全体はこんな感じです。
ていうか、作品が写ってないのに上手く撮れたって……それでいいんか? ちなみに、彼女によれば、鏡を使った作品が多かったそうです。
この鶴や、 この鳩のように、
鏡を利用して生き物の全体を創っている作品がたくさんあったと。自分や他の人が写り込まないように撮るのが大変だったそうです。帰るとき、美術館の敷地内にあった池の、鯉の写真も撮ったそうですよ。かわいい。
わたしがいまいってみたいのはおなじく館林美術館で開催中の「スペインの巨匠•ミロ 版画の宇宙」です。土屋文明記念文学館でやっている「文豪・谷崎潤一郎 –美を追い求めて」も気になりますね。わたし谷崎潤一郎の小説が大好きなんです。「刺青」とか、シビれますね。でも高崎はちょっと遠いです。あーあ。
文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険その7
初めまして、もしくはお久しぶりです。……と言っても、太女の部・同好会の中では比較的更新頻度は高いので、「久しぶり」はしっくりこない気もするが。ともあれ、今回お届けするのは浦島太郎の物語だ。おっと、画面を閉じる前に。『浦島太郎』は誰もが知る定番の昔話だが、この太郎と姫様はそれとは少々違うようで…? お楽しみいただければ幸いだ。
◇浦島太郎◇
昔々あるところに、浦島太郎という気弱で真面目なことで有名な漁師が、年老いた母親とふたりで暮らしていた。ある日、太郎が普段のように海へ出かけると、浜辺では村の子どもたちが大きな亀をつつき回して遊んでいた。
「こら、おまえたち、何をやっている! 今すぐ亀を放してあげなさい!」
「げえっ、くそ真面目の太郎さんじゃ」
「普段は優しいけどたまにおっかない太郎さんじゃ!」
「逃げろっ、逃げろおっ」
子どもたちは亀をいじめていた木の枝を打ち捨てると、散り散りに駆けていった。中には亀にぶつかるように枝を投げてから逃げるのもいた。
「亀どの、亀どの、大丈夫かい」
太郎がぐっと首を縮めていた亀の傍にしゃがみ込むと、亀はゆっくり顔を上げた。
「ああ、すんでのところで助かった。感謝する」
「亀なのにしゃべるのか」
「話しかけてきたのはそっちのくせに、しゃべったらいけないのか」
「……いや。とにかく、陸は危ない。早く海へお戻りなさい」
「では礼として、海の中の宮殿にお主も連れて行こう。姉上が喜ぶに違いない」
「はあっ!? ままま待ってくれ、おれのおっかさんに伝えてからでないと」
「『くそ真面目の太郎さん』と言われるだけあるな」
亀はニヤリと微笑を浮かべた。
「黙っとけ」
これには太郎も赤面し、軽く怒鳴るように返した。この非礼に亀は腹を立てるでもなく、
「いいだろう。別れの挨拶をしておいで」
*
かくして浦島太郎を背に乗せた亀は竜宮城へとやって来た。亀は謁見の間で太郎を下ろすなり、立派な身なりの人間の王子へと姿を変えた。
「姉上、連れてまいりました。私を救ってくださった人間で、浦島太郎といいます。深い孝行の心もあり、王配殿下となるのにこれほど相応しい者はいないでしょう」
「さようか、ご苦労であった。下がるがよい」
王に相応しい、よく通る威厳に溢れた声でそう言うと、竜宮城の姫は太郎に向かって、
「お話は愚弟より伺っております。困っている亀に手を差し伸べる優しさに、わたくし感服いたしました。どうかわたくしとともに竜宮城の主となり――」
「少々お待ちを! おれ……私は急に連れてこられたとばかりで、話が見えないのです」
「ごめんあそばせ。では、すぐに王配にとは申しませんから、三日ばかり滞在してくださいな」
「は、はいっ、喜んで」
*
三日が経ち、浦島太郎は一度家へ帰ることとなった。竜宮城の若き女王は「決して開けてはならない」と言って彼に玉手箱を託し、実は王弟だった美丈夫は再び亀へと姿を変えて彼を陸まで送り届けた。
村に戻ると何とびっくり、陸上の世界では三日ではなく三百年の歳月が流れており、生家は面影もなく消えてしまい、当然のことながら太郎を直接知るものはいなかった。それどころか、舟が沈んで殉職した漁師として、苔まみれの小さな祠ができている始末。たった一人の家族もとうに死んでいると知ると、母想いの太郎はおんおん泣いた。唯一手許にあった玉手箱をきつく抱えて、身も世もなく涙を流した。
*
太郎が帰ってから、陸上の世界で十年が経った。太郎は手頃な空き家に住み着いて、漁師を続けながら細々と独り暮らしをしていた。ある日、太郎が漁へ出かけようと浜辺に出ていったときだ。突然海の水面が不気味に波打ったかと思うと、あの竜宮城の姫が亀の姿をした弟に背負われて現れた。
「太郎どの! 二時間経っても戻らないので来てしまいました」
「姫様!?」
「なぜ玉手箱を開けていないの! これだからくそ真面目はっ!」
「なぜって……くそまj……え?」
「それにはわたくしどもと同じ寿命を得られる秘薬が入っておりましたの。開ければ分かりますわ。陸上でその効果を得れば、ここでの時間の進み、すなわち人やものの移り変わりが途端に速く見え、海に入るとちょうどよく感じられるはずよ」
無邪気な少女のように満面の笑みを見せると、女王は玉手箱の蓋を開いた。たちまち全身に煙を浴びた太郎は、一気に自分と女王と亀以外の周りのものすべてが目の回るような速さで変化してゆくさまを目の当たりにし、呆然と細い息を吐いた。
「今、おれは、どうしてこんな」
「前にもお話しした通り、わたくしの王配になっていただきたくて。さあ、帰りますよ」
嬉しげに差し出された白魚のごとき姫の手を、太郎はつい咄嗟に握り返してしまった。
*
こうして我々の感覚からすると万年の寿命を得た浦島太郎は、時に突拍子もない言動をする女王を諫める役目を彼女の弟とともに永きに渡って務め、晩年には海の賢君と呼ばれるまでになった。
めでたし、めでたし?
文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険その6
第1回「句会せせらぎ」の報告
10月29日火曜日の放課後(文芸部の活動日です)、学校の図書館をお借りして、句会を開催しました。7月23日火曜日に太田高校にでかけて合同読書会に参加したときに、句会も催されました(くわしいことは「華麗なる冒険その3」をごらんください)。俳句をその場で詠んで、投票して、感想を述べあうという文学のライヴ感に感激を受けたわたしたちは、「つぎは太女で!」と意気込んだのでした。とはいえ、じつのところ、わたしたちは自分たちだけで句会をやったことがありません。こんごの文芸部の活動の幅を広げるため、太田高校文芸部との「円満」な交流のため、ここはひとつ「太女文芸部の句会」をぶちあげねばなりません! 小林恭二という小説家の書いた『俳句という遊び』(岩波新書)をテキストに(部員みんなで読みました!)、多少付け焼刃の感は否めませんが、わたしたちはわたしたちの句会「せせらぎ」を立ちあげたのです(「せせらぎ」は部誌の名前です)。
今回は「題詠」としました。題詠とは題となったことばを俳句に詠みこむことです。「ランダム単語ガチャ」を活用しあれこれ候補をあげてゆきます。これという決め手はなかったのですが、「まる」でゆこうと決まりました。本来は「まる」という単語をつかうのですが、今回は「まる」をイメージできるものでもよいこととしました。制限時間は20分。さあ、はじまりです! 思いつきを口にだしながらつくる人。それに相槌をうつ人。ひたすら黙々と没頭する人。ひとりはなれて雑念を振り払う人。俳句はフォームで投句しました。すぐにスプレッドシートに一覧ができるのでラクちんです。4人の参加者で、20句ほどの作品が詠みあがりました。それを人数ごとにわけた投票シートで選句してゆきます。ほんらいならダメだとおもう「逆選」もあるのですが、わたしたちはよいものを選ぶ「正選」だけにしました。ひとり5句を選びました。その結果上位にはいったのがつぎの俳句です。
大根は煮ても焼いても丸いまま
見上げれば浮かぶ十五夜膝に猫
木枯らしに背中丸めてきょうもまた
夏夕空 ビー玉越しに 陽を込めて
遠足に五百円玉握りしめ
信楽の狸が見上げる秋時雨
それぞれの俳句について、「正選」の印をつけた人が感想を述べ、そのあとで作者が作品の意図をかたります。「大根」の句は調理した大根の形に着目している点が評価されました。「膝に猫」は取り合わせの妙。月見をしている縁側(じゃないかもしれないけど)の長閑さがうまく表現されています。「木枯らし」は背中を「丸める」という「まる」の使い方が目から鱗の作品です。「ビー玉」は書いてなくても「ラムネ玉」だよねーと意見が一致。夕空をビー玉に閉じ込めちゃう幻想が素敵です。「遠足」の俳句は、言わずもがなですよね。だれもが経験したであろう遠足のおやつを買いにでかけるワクワクが簡潔に表現されています。「信楽の狸」はよくあるあの狸が秋時雨を憂鬱そうに見あげている情景がシュールな逸品です。
午後4時すぎからはじめて、午後5時半まで、わたしたちは「俳句」しました。小説の創作に偏りがちな太女文芸部ですが、俳句にも目覚めたような気がします。つぎは短歌かな。第2回目の句会も楽しみです。
文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 特別篇
僕の大きな小人さん(全3話) 長山穂乃花
第3話(最終回)
「さて、リーと帰るか」
最後のお客もいなくいなくなったことだし、と帰り支度をする。通りに面した大きな窓にカーテンを下ろし、入口のドアにも鍵を掛ける。
ギイっと軋んだ音を立ててバックヤードに入って鍵を掛けた。バックヤードと言っても、店頭に並べない植物を置いているため天窓からの明かりが入る作りになっていて、意外に明るい。しかし、今は夕方で電気もつけられていないため、どこか不気味に薄暗かった。
リーには電気を点けるように言っているのに。
「リー?」
返事はない。きょろきょろとあたりを見回してみるが、あの大きな身体を隠せそうな場所もない。
その日から、リーは僕の前から姿を消した。
「ありがとうございました」
今日も、いつも通りに自分の店で仕事をする。リーが僕の日常に入り込む前の、いつもどおりの生活だった。
……あの後、先に帰ってしまったのかと帰り道の途中を探してみた。
リーは見つからなかった。
もう家に着いているのかもしれない。
家にもリーの姿はなかった。
次の日、バックヤードの中をもう一度、隅から隅まで探した。
部屋の隅、机と壁の外から見えづらい隙間に、リーに着せていた洋服が一式脱ぎ捨てられているのを見つけた。
おい待て今アイツは全裸なのか!?
そんな僕の混乱を置いてけぼりにして、結局リーは見つからなかった。
「いらっしゃいませ」
リーがいない日常は、ずいぶんと味気ない。
「今日は、何をお探しですか?」
当然だ。リーがこの店で働き始めたのはここ数日間だけとはいっても、家には五年近く前から居たのだから。
「それなら、こちらの花はいかがでしょうか。今年はかなり色がいいですよ」
リーがそばに居なかったときにどうやって過ごしていたのか、もう思い出せないほど、リーとの生活を楽しんでいたことに今更気づいた。
リーが小さな瓶に入れられていたときから、ずっと。
僕は、そっとエプロンのポケットに入れられた球を撫でる。体温と同じくらいの温かさと、さらりとした手触りが伝わってくる。
落ちていたリーの服に隠されていた卵型の球体。真っ白で、リーの瞳を連想させる光沢を持つその球を撫でていると、不思議と気分が落ち着いた。リーが居なくなった日から、僕はこれを肌身離さず持ち歩いている。
今日も、僕は一人で店を開けた。
もう、バックヤードにも店先にも、リーが巨大化させた花々は残っていない。売ってしまったり、苗だったものは成長するときに少しずつ元の大きさに戻ったりしてしまった。
一本くらい手元に残しておけば良かったかもしれない。
からん、コロンからん。
「っ、いらっしゃいませ」
いけない。少しぼうっとしていたようだ。しっかりしなくては。
気を取り直して入口を見ると、やって来ていたのは先日も訪れていた初老の女性だ。
彼女はきょろきょろと店の中を見回すと、おっとりと首を傾げた。
「あら、今日は羽根の子は居ないのね」
お休みかしら? というマダムに、引きつらないよう細心の注意を払って笑顔を向ける。
あれ、デジャヴ。
「あの子はしばらくバイトはお休みなんです。忙しいみたいで……。いつになったら戻ってこられるかはまだわからないんですよ」
エプロンのポケットの中が、もぞりと動いた気がした。
「あら、そうなの?」
「本日は何をお求めですか?」
ポケットの中から、なんだかゾワゾワした感じが広がってくる。すごくぞわぞわする。
「今日はね、娘が久しぶりに帰って来るから、家を華やかにしたいのよ」
「そうなんですね。でしたら大きめの花を多めに入れた花束にしましょうか。メインの色はどうしますか?」
「そうねぇ、赤とか、そんな感じの元気の出る色がいいわ」
「わかりました」
依頼された通り、一番目立つ大きな花は赤いアマリリスを一輪。その他に薄ピンク色に染められたカスミソウを周りに入れて。赤い色を更に引き立てるために、少し多めにグリーンを。
そうこうして植物をまとめ、ビニール素材でラッピングしていると、そろそろ無視できないほどポケットの中身が暴れ出していた。
「……っ!!」
ポケットの中をちらりと覗くと、嫌と言うほど見覚えのある白が目に入った。
危なかった。危うく常連さんの目の前で悲鳴を上げるところだった。
マダムはにこにこ微笑んでいて、僕の異変には気づかなかったようだ。
気持ち、いつもより素早さ三割増しで手早くリボンを掛けていく。
あれ、デジャヴ。
「お待たせしました!」
「ありがとうねぇ」
僕は冷や汗だらだらで花束を差し出し、代金を受け取る。リーがここで働いてからやたら表情筋が鍛えられている気がする。
マダムは楽しそうに表情を緩ませながら花束を受け取ると、カランコロンとドアのベルを鳴らして店から出ていった。
さんさんとした日差しが大きな窓から差し込む店内が無人になり、しん、と静寂が落ちる。
……僕のポケットの中以外は。
まだガサゴソいってる……。
「……リー、なのか……?」
ポケットからそっと小さなそれを取り出す。僕の片手の大きさくらいしかない白い塊は、間違いなく出会ってすぐの、それこそ瓶に入れられていたときのリーのようだった。
だが、出会った頃のリーは、僕の両手の手のひらくらいの大きさで、翼は片方が半分欠けていた。そのせいでどこか確信が持てずに問いかける。
僕の問いに、リーは目を大きく見開いて頬を上気させ、こくこくと大きく頷いた。
小さくても、軽くても、そこにリーが存在する確かな重みが伝わってきて、目元が熱くなった。
手のひらの上でリーがワタワタと暴れている。それが水滴を避けているものだと気づいて、その後、ようやく自分が泣いていたことに気付く。
寂しかったんだ。ずっと一緒に居たリーがいなくなって。
「りぃ〜……」
出どころ不明の小さなワンピースのような服らしき何かを身につけたリーを潰さないように、そっと顔に近づける。
どこから来た服だ、これ?
リーは僕を慰めるように小さな手で、僕の鼻筋をぺちぺちと叩いた。
「かってにいなくなるなよぉ……」
考えても無駄なことは諦めて。リーが帰ってきてくれたから、それで良しとする。
リー失踪事件から一年後。リーは順調に大きくなり(成長ではない)、今では僕の膝くらいの高さまで身長が伸びた。成長ではない。
リーが店で働けないサイズになってしまったせいで、結局僕は忙しい。それでも、朝起きたときに温かい熱が僕の腕の中にあるから、だから、今のままでもいいかと思ったんだ。
もそり、と腕の中のぬくもりが小さく動いた。
「ん、起きたのか、リー。おはよう」
今日も、僕たちの一日が始まる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
どうでしたか、みなさん。楽しんでいただけましたか? 「瓶詰の小人」という発想がすばらしいですよね。その小人がどういうわけか巨大化して、花屋の「僕」をトラブルにまきこんで、すったもんだのすえに、姿を消してしまう。「リー」の代わりに「白い卵型」の球体が「僕」の手元にのこり、それがポケットの中で小人に姿をかえて。うまい。うますぎます。ファンタジーのドがすぎます。なぞをなぞのままにのこして、説明しすぎないところが「ブンガク」なんですよね。読んでくださったみなさん。長山さんへの絶賛をおねがいします。
文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 特別篇
僕の大きな小人さん(全3話) 長山穂乃花
第2話
「リー、もう出てきても大丈夫だぞ」
言いながらバックヤードへのドアを開けると、まだ店内に並べていない苗の状態の植木鉢が並べられた棚の前にリーが立っていた。
それだけなら、特に問題はなかった。問題なのはその棚の植物が現在進行系でむくむくと育っていることだ。
「なにをしてるんだ?」
リーは俺がリーの血を拭ったタオルに水を含ませ、植木鉢の土の上に絞っている。その水を受けた植物がどんどん大きくなっていて、元の大きさのままの苗は数えるほどしか残っていない。
このままリーの好きにさせておくとバックヤードを未開のジャングルにされかねない。
リーはバックヤードに僕が入ってきたことに気づくと、小走りで駆け寄ってきて撫でろ撫でろと、頭に僕の手が届くようにかがんだ。
「……、…………これからは、なにか、やりたいことがあったら、……先に僕に確認してくれ……」
ズキズキと痛むような気がするこめかみを片手で抑えながらなんとか言葉を吐き出すと、僕が頭を撫でないことを疑問に思ったのか、リーが下から見上げてくる。
そっとリーの真っ白な髪に触れると、サラリと滑らかに流れていった。リーは嬉しそうに目を細めて、撫でられるのを楽しんでいる。
なんの悩みも憂いもなさそうなリーとは対照的に、僕は明日からもずっとリーが人間でないことを隠し通す自信を失って、今度こそ重たいため息を吐いた。
まあ、前途多難だと思えたこの生活も慣れてしまえば意外と悪くなく、それどころか数日も経てば楽しむ余裕さえ生まれてきていた。
「なあ、リー、そこの棚にある花瓶をカウンターに並べておいてくれるか?」
僕の頼みにリーはせっせとガラス製の大きな花瓶を棚から降ろしてカウンターに丁寧に並べていく。リーはずいぶんと体格が良いおかげで高いところまで手が届くうえに、かなり力持ちなようで花瓶に水が入っていても軽々と運んでいる。
僕にとっては大きな花瓶も二メートル超えのリーが持つと、だいぶ小さく見える。
リーは、初日のバックヤードジャングル化事件を起こした後は特になにか問題を起こすわけでもなく一生懸命に働いてくれている。
ちなみに未開の森と化したバックヤードの中でどうしてこんなことをしたのかと聞き取り調査をしたところ、僕を喜ばせたかったから、らしい。
純粋な好意に、それ以上の注意をできなくなってしまった僕が黙り込んでしまうと、不思議そうな顔をしたリーが僕の頭を撫でてくれた。髪の上を滑るリーの手のひらがとても大きくて、本当にコイツは僕の手のひらサイズだったのかと過去の記憶を疑ってしまった。
なんとなく悔しくなってリーの真っ白で血管の見えない手と、僕の日に焼けた手を重ねて大きさを比べてみた。大人と子どもくらいの差があったせいで、手のひら同士を重ねたままでもリーの手に僕の手が包まれてしまう。悔しいな。
「お、終わったのか。ありがとな、リー」
少しの間物思いに耽っていれば、リーはもうカウンターに花瓶を並べ終わったらしい。
もはや恒例となった褒められ待ちのリーの頭を撫でながら、レジ周りに散らかした請求書の束を片付ける。少し前にバイトで入っていた学生さんが辞めてしまったせいでここ最近はずいぶんと忙しかったが、リーも働き始めたことだし、かなり楽になった。流石に一人で店のことを全部やるというのは無理があったようだ。
「いつも助かるよ。リーのおかげで今日も早く帰れそうだよ」
さらり、とリーの絹糸のような真っ白な髪を最後に一撫ですると紙類をまとめて立ち上がる。
からん、からん、と来客のベルが鳴った。外の少し冷えた空気がぶわりと入り込んできた。
「いらっしゃいませ!」
夕日が差し込む入口に影が落ちる。かつん、とヒールの音が響いた。
「こんにちは」
入ってきたのは若い女性だ。仕事帰りなのかかっちりした印象の服装をしている。彼女は背中まで流れるつややかな黒髪を揺らして並んだ花々の中から目当てのものを探しているのか、棚の間を歩いていった。
「リー、バックヤードで待ってて。もう少ししたら一緒に帰ろうな」
初日の反省を活かしてお客さんが来ている間は、リーにバックヤードにいてもらうことにしている。そのおかげか、今のところ問題なく業務が進んでいる。初日の一連の事件は本当に心臓に悪く、寿命が縮む思いだった。できれば二度とあんな思いはしたくない。
リーはこくこくと頷いて大人しくバックヤードにつながる扉へ向かっていく。その背中は翼を全部服に押し込んだせいでずいぶんとゴワゴワしている。
本日最後のお客さんとなる女性は長い間、あっちの棚へこっちの花瓶へとふらふらと移動して、かなり悩んでいる様に見える。
「なにをお探しですか?」
女性が眉間に深くしわを刻んで、んー、と唸りながら考え込んでしまったので、沈黙に耐えきれず声をかける。
女性はハッとした表情をすると恥ずかしげに視線を彷徨わせた。
「すみません……。今日、恋人との記念日なんです。それで、お花をプレセントしたいな、と思っていて」
「素敵ですね、どんな花がいいんでしょうか」
「可愛らしい花がいいと思っていて。明るい色の」
それなら、といくつか女性ウケのいい花々が収められた花瓶を店の奥から運ぶ。
彼女は細い指先を花瓶の上で彷徨わせると、ひときわ大きなピンクのスプレーバラを手に取った。
「これにします」
ひゅ、と喉の奥で吸いそこねた息が変な音を立てた気がした。高いところから落とされるアトラクションに乗ったときのように身体の中身がゾワゾワする。
女性が手に取った花は数日前、リーが最初に巨大化させたバラだ。なんでこんなことに……と言いたくなるような、なんとも言えない気持ちになってくる。そもそも商品に混ぜるな、という話なのだが。
「か、しこまりました。ラッピングはどういたしますか?」
とにかく動揺を表に出すな、と社会人の根性で笑顔を保つ。こんなことに発揮したくなかった。
「リボンが付いている、これでお願いします」
「わ、かりましたァ……」
依頼どおりに水色の細いリボンで花束の様に束ねていく。しゅるり、と音を立ててちょうちょ結びにして、余った両端を棒に巻き付けてくるくるにした。
彼女は世間話が得意な質ではないらしく、作業中はずっと所在なさげに視線を彷徨わせていた。
「お待たせしました」
「わっ、ありがとうございます」
女性は宝物を手にしたように、そっと一輪の花を手にとって店を出ていく。
「ありがとうございました、またお越しください」
からんからん、とベルが鳴って、店内に夕方らしい静寂が落ちた。