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文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その20

◆『せせらぎ』188号合評◆
発行したのは2025年1月31日でした。2月にはいると学年末試験やら高校入試やらでいそがしく、3月には卒業式で3年生の先輩たちとお別れし、なんだかんだで春休み。なにをいいたいのかというと、『せせらぎ』は発行はしたものの合評をする機会がなかったという言い訳です。そうこうするうちに189号発行のために原稿をしあげる時期になってしまうので、われわれは重い腰をあげて、5月2日金曜日の放課後図書室に集まりました。新入部員にも参加してもらい、総勢7名のにぎやかな会になりました。じぶんでいうのもなんですが、太女文芸部の作品は個性的なものばかりです。発想にしても表現方法にしても独自な世界をつくりあげています。おたがいの作品を評価しながら、じぶんには足りないものに気づけたよい時間でした。以下、「わたし」がそのようすをまとめたものを掲載します。じっさいの作品は「文芸少女折下ふみかの冒険」その14で公開しています。ぜひおよみください。

「ひとりになりたい池井君」
A クラスで孤立しているようにみえる「池井君」に興味本位で話しかける女子高生「私」の顚末を描いた作品。
B「私」のJKぶりがリアリティをもっているよね(まあ女子が書いてますから)。
C「背後にきゅうりを置かれた猫みたい」だとか「冷たい水を飲み込んだときのように」といった直喩が効果的です。
D「私」、「僕」といった登場人物の一人称が語りとして巧みに描き分けられているなかに、突如「背後で鳴った、空気のこすれる音は聞こえなかった」という第三者視点をおりこむ技がみごとです。
E ひとりぼっちであるような「池井君」がどうしてひとりになりたいのか、その結末がこわいけどほのぼのしちゃうのはなぜかしら?
F 全篇がコミカルなタッチだからじゃない?
G でも、閠ウ縺ョ荳ュ縺ォ逡ー蠖「縺後>繧九→縺?≧逋コ諠ウ縺後>縺?〒縺吶h縺ュ縲らァ?騾ク縺ァ縺吶?
A ネタばれ厳禁!

「記憶のカケラ」
B 余命宣告をうけている母親が娘のために残りの人生を強気に生きてゆこうと決意する話。
C「私」はその病気の症状として記憶に障害があるんですよね。そのせいで自分があとどれくらい生きられるのかも忘れている。
D この小説は「私」と娘とが「ブランデーケーキ」についてやりとりする午後のひとときを描くことで「私」だけが抱えるのではない記憶のはかなさにふれています。
E 記憶ははかないものだけど、だからこそその「カケラ」だけでも残るように人間関係を濃密にすることがだいじなんだなとおもいました。
F ひとは死んでもその記憶の中に生きられるはず。そのための「濃密さ」ってことね。
G ひとはだれでも死ぬけれど、その宿命を悲観するのではなく、死ぬまでを前向きに生きることで「私」は娘の記憶の中に断片的でもかまわないから生き続けようとつとめる。
A やがておとなになった娘は「ブランデーケーキ」を口に運ぶたびに母親を思い出すにちがいないですよね。
B まるで『失われた時を求めて』の「マドレーヌ」みたいね。

「お昼の給食」
C 小学5年生と3年生の息子をもつ母親が息子たちの会話をきっかけに給食を懐かしく思い出し、お昼にじぶんがすきだった給食を再現する話。
D 献立は「若鶏のマリネ」「ふわふわ卵のイタリアンスープ」「小松菜のサラダ」。どれもおいしそう。
E「幸子」が子どもころは学校に調理室があったという設定なんですよね。そんな時代もあったんですね。
F その献立を「幸子」が調理してゆくようすが克明に描かれてゆきます。
G 材料の分量が描けていれば完璧なレシピ小説ですよね。
A いまどきはレシピサイトやYouTubeなどで調理の手順が動画で紹介されていますけど、その小説版ですよね。
B オノマトペを一行書きにするくふうがいいと思いました。
C そうね。リズミカルな音がせまってきて臨場感がでているよね。
D 調理する「幸子」の高揚感も感じ取れるよね。できあがった「給食」を子どもにかえったようにおいしそうに食べる描写がとてもいい。おなかすきます。
E 日常のなかのささやかな非日常をへてふたたび日常(家事のつづき)にもどってゆく構成もよかった。

「幽霊城の籠り姫」
F 幽霊を見ることができる「エミリー」が幽霊屋敷に住み込んで幽霊の貴族令嬢「ソフィア」と仲良くなる話。
G 幽霊が骸骨という設定がおもしろい。というか、おもしろく読めちゃう。
A 全体的にゴシック・ロマンというよりは上品でコミカルなスラップスティックを描こうとしている気がします。
B ホラーじゃなくてサスペンスだよね。どうして彼らが幽霊として生きているのかとか、「百年の契約」とはなにかかとか、謎がたくさんちりばめられているもんね。
C すべてがうまく回収された長篇としての完全版をよみたくなります。
D「トルコ石の指輪」という小道具が神秘的な雰囲気をじょうずに演出していますね。
E 異国情緒というか異世界情緒というかがたくみに表現されているんだよね。

「ものがたり」
F 古本屋で「ある」古本をたどってゆくことで大学時代の先輩と後輩がめぐりあう話。
G 古本の個性的な「書き込み」が手がかりってところがドラマチックです。
A 本に感想とか書きこんじゃう人ってあまりいませんよね?
B わたしはするよ。おもいついてことをどんどんかいちゃう。
C じゃあ、あなたが「モデル」?
D 現実的かそうじゃないかじゃなく、その書き込みに後輩らしさがあって、むかしを懐かしんで惹かれてゆく心理がいいとおもう。
E 宝さがしめいていてわくわくするよね。「秘密の書籍」みたいでさ。
F まさにそれね。宝のありかを示しているのが持ち主の書き込みってところがロマンチック。
G 書物をめぐる書物の冒険だよね。

「彗星」
A 彗星を見るために高校の天文部の観察会に参加するふたりの高校一年生の話。
B とにかく高校生活がたのしそうにえがかれていていい。
C 男子も女子もいる共学校のリアルがある気がしました。描写も会話もとても自然でのめり込めます。
D とかく「文芸部」を舞台にしがちだけれど「天文部」にしているあたり心憎いですね。
E へんてこな恋愛関係ではなく、部活をたのしむまっとうな交友関係を描いているところに好感が持てます。
F ただ彗星がみたかったふたりの男子高校生がその体験をとおして、天文部員になるという展開がよくできていると思いました。
G「金木犀が甘く香る季節、放課後の西日が照らす教室に二人の影があった」という冒頭の一文がとてつもなくブンガク的です。
A「『天文部へようこそ』」という結びの一文が物語をとてもじょうずに締めくくっているよね。

「柳のところの幽霊さん」
B 自分にとりついた幽霊から逃れたい「栁」という少女とじつはその少女が大けがしないように監視している幽霊のすれ違いドラマ。
C 作者によるとアンジャッシュのすれ違いコントがヒントになっているそうで。
D 幽霊が自分の二の舞にならないように「柳」を見張っているのに、その幽霊を怖がっていてなんとか逃れようとする設定がおもしろいですよね。
E 幽霊が親切にすればするほど「柳」は恐怖のどん底に陥っちゃうわけですよね。
F だからといって幽霊が彼女を見捨てれば彼女は死んでしまうかもしれない。
G その組み立てをとてもじょうずに説明しているのがQ&Aの構造ですね。
A「私は、どうしたら助かりますか?」
B「何もしないでください」
C 絶妙な掛け合いですよね。

*「俳句」は太田高校文芸部との冬の合同句会のときにつくったもの、「短歌」は群馬県総合文化祭文芸部門の交流会のときにつくったものです。
*「受かれメロス」は予餞会の出し物を4コマ漫画風にアレンジしたものです。
*「りぶろういるす」は顧問創作のため割愛しました。

 

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その19

ある日の、嬉しいことがいっぱいあった帰り道のことを話そうと思います。まず、学校から駅までの歩き道です。道沿いの家で白と黒のまだら模様の猫を飼っている家があります。その家は風除室があって、そこに椅子が1脚あるんです。朝はたまに猫がそこで寝ていることがあるのすが、放課後通りかかるときは今まで一度も猫の姿を見たことがありません。でも、その日は放課後にも関わらず、猫が椅子の上に座っていました。そのとき、猫は起きていて、私が手を振るとそれに反応したかのように目をギュッと細めました。かわいくて、かわいくて、少し立ち止まってしまいました。その気持ちでルンルン歩いていると、いつもは、発車時刻ギリギリに駅に着くのに、発車5分前くらいには駅に着きました。時間に余裕があるっていいなって感じますね。次に、電車の中でのことです。いつもはかなり混んでいる時間帯の電車なんですが、その日はいつもより空いていて、座ることができました。ぼーっとしながら乗っていると、電車の向きが少しかわったとき、オレンジ色の光が私の顔に当たりました。普段は向かいの椅子にも人がいるので、外の景色は見えないのですが、その日は空いていたため椅子の端にしか人がいなくて、外の景色が見えました。大きく赤い夕陽がきれいで、小さく黒いカラスも見えました。今は春と夏の間くらいではありますが、この前授業で習った枕草子の冒頭の「秋は夕暮れ」を思い出して、なんだか嬉しくなりました。そしてゆらりゆらり電車に乗って、地元の駅に到着です。そこから家まで自転車で帰ります。家の近くまできたとき、自転車で乗っている3人の外国人に「コンバンハー」と明るく声をかけられました。私は少しびっくりして、反応が遅れて、自転車同士ですれ違った後、後ろを振り返って「こんばんは」と言い返しました。その人たちとは、ほぼ毎日同じ時間くらいにすれ違いますが、今まで挨拶をしたことはありませんでした。毎日すれ違うから、相手も覚えてくれたんだかわからないのですが、やっぱり挨拶をされると暖かい気持ちになりますね。笑顔で家に帰ったら、母に「なんかいいことでもあった?」と聞かれて、その日の夕食時に帰り道のことを少し誇張しながら話しました。

 

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その18

  疲れた。本が読みたい。
 目の前には、私が目を通すべき書き物が大量に積んである。予習しなくてはいけない教科書たち。復習を始めなくてはいけない問題集たち。
 でも、違う。どれも私が読みたい文字ではない。
 確かに、国語の教科書には物語が載っている。古典作品だって平たく言えば物語であることが多いだろう。
 窓から差し込む夕暮れ色の光が、我が家のリビングを鮮やかな橙色に染め上げる。オレンジ色の陽光はまばゆいほどローテーブルを照らすが、ソファの横は黒ぐろとした影を落としている。
 私はその黒ぐろとしたソファの影に何冊かの教科書を投げ捨てた。そのままの勢いでソファの背もたれに沈み込む。
 国語の教科書はまだいい。現代文も古文も漢文も、物語がある。
 ただし、数学、化学、生物、物理。こいつらはダメだ。なんの物語もない。新発見に至るまでの道のりや研究歴史からは人々の辿った営みが垣間見えるかもしれないが、いったい教科書の何パーセントだというのだろう。疲れて鈍った頭では、文字の奥に見える人々の人生や、感情や、そんな文字の奥の風景に思いを巡らす余裕がない。
 もっと手っ取り早く、鮮烈な景色が見たい。白い紙に黒いインクが印刷されただけの存在にもかかわらず、現実以上に色彩にあふれた景色を映し出してくれる、そんな物語が読みたい。
 しかし、どんなに心から願ったとて、現状やらなければならないことが減るわけでもなく。目の前の課題の山が消えることもなく。重たいため息の数と過ぎ去った時間だけが増えていく。
 物語を読んでいる間だけは、この現実(課題の山)を忘れられる。別人の人生を歩むことができる。この人生が一度しかないものでも、物語を通して私は誰にでもなれるし、なんにでもなれる。いま私は別の(課題のない)人生を歩んでみたい気分だ。
 オレンジ色の夕陽は濃い赤色に変わって、電気のついていないリビングは薄青い闇が這いのぼるように薄暗くなってきた。
 そろそろこの物語に思いを馳せる(現実逃避の)時間も終わらせないといけないようだ。重力二割増しくらいの重さの体をどうにかソファから引き上げて、部屋の明かりをつける。パッと明るくなった部屋には、もう夕暮れの色は残っていない。
 蛍光灯の無機質な光は、教科書の無機質な文章をやたらと強調する。学校の授業だけで情報が飽和した頭はぼんやりと痛むが、それでも教科書に目を通さない理由にはならない。
 まだまだ溢れ出るため息を噛み殺しながら教科書の山に手を伸ばした。せめてもの抵抗に伸ばされた手は古典の教科書をつかむ。
 ページを開く。読む。匂いがする。ここじゃない場所の。花の匂い。月を見上げる夜の匂い。別れを告げる朝焼けの色が見えて、気がつけば見知らぬ世界に一人立っている。誰かを呼ぶ声。火花がぱちぱちと弾ける音。
 ガラガラと小さな滑車が回る音。は、と意識が戻る。玄関が開く音。母が帰ってきた。
「ただいま」
「……おかえり……」
 ここは? リビング。なにをしていた? 読んでいた。教科書を読んでいた。
「はあ……」
 体の中をぐるぐると巡っていた感情が呼吸にのって外に溢れていく。このため息は、今までとはまったく別物だった。
 母はこんな私の様子に慣れているからか、ちらりと私の方に目線を投げかけるだけで特に何も言わない。
 さすがは時代を超えて残った名作たち。読み始めれば、今も昔も変わらない人々の感情の移ろいが目の前に現れては消えていく。乗り始めた気分をそのままに、今度は現代文の教科書を手に取った。
 数学、化学、生物、物理の教科書たちは、ソファの横に落とされたままひっそりと、ただそこにあった。

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その17

◆新入生歓迎ハイクde俳句◆
5月10日土曜日に太女文芸部恒例の「新歓ハイキング」を実施しました。今年は太田高校の文芸部にも声をかけたところ、こころよく賛同してくれまして、初の「合同」ハイキングとなりました。新聞部も金山城址の取材をかねて参加することになり、総勢18名(太田8、太女文芸部6、太女新聞部4)の大所帯。おまけにせっかくなら山頂で句会をひらこうということになり標記のとおり「ハイクde俳句」という企画とあいなりました。ところが……です。「書を捨てよ、山に行こう!」という寺山バリの意気込みとは裏腹に、前日からの雨がやまず、天気予報では9:00ころにはあがりそうだったのですが、金山とはいえ「山」ですから、足元があぶないだろうということで、目的地を大光院に変更することになりました。ざんねんむねん! 9:20ころ、小降りの春雨をついて学校を出発。30分くらいかけてのんびり八瀬川をさかのぼり、大光院についたころには雨もやみ、「雨」というベタなお題の俳句をきもちよくひねることができました。

   

学校にもどってから小会議室でお弁当をたべ、11:20ころから句会をひらきました。本来なら、各自の俳句に投票してその得票数を競うのですが、今回は平安時代の歌合わせよろしく、太田高校を先攻とし後攻の太女と交互にひとり一句ずつ発表する催しとしました。発表者はじぶんの俳句を黒板に書き、創作の意図を語ります。それについてあれこれと発言しあい、「文芸ライヴ」としておおいに盛りあがる企画となりました。新聞部の生徒もふたり、自作の俳句を物おじせずに発表してくれました。どちらもすばらしいできばえで文芸部員も脱帽です。12:30ころにはすべての参加者が発表をおわり、「ハイクde俳句」は無事終了しました。金山に登れなかったのは残念でしたが、句会はとても有意義でした。来年は天候に恵まれて山頂での句会ができるとよいなと思います。

      

《参加者の俳句》
【太田高校文芸部】
 祝福と時雨れる行進神域へ
 憩いの場廃墟と醸す春雨や
 はだれ雨さも聞こえるはうぐいすと
 水落ち日牙城を思す腐れ木
 寺社巡りおかし嚙み締め梅雨を往く
 百余年蝉堕ちる日も雨ざらし
 五月雨に溺れる私は腹痛し
 五月雨と旅路共にす人の跡
 雲集い霧に霞んだ春の跡
 裏巡る雨盗る虹は眩しくて
 身は渇くされど実はふる皐月雨
 寝癖も寝冷えも何もかも湿った
 幽玄や滴り騒ぐパラドクス
 あと四つ武者よ参らん秋黴雨
 汗か? 雫かこれは拭えやしない
 五月雨でびしょ濡れになる遊具かな
 靴染みて冷たさ足に草を踏む
 呑龍の寂れた稚舎にさみだるる
 あめ紡ぐ萎びた花に飴降らす

【太田女子高校文芸部&新聞部】
アマリリス隠す滴は雨涙
青葉雨勿忘草の空の色
紫陽花と誰も知らない月時雨
雨 若葉を滑る 頬に触れる
五月雨は大光院の龍の雲
八瀬川沿い青草の上白玉光る
呑龍の如来濡らして初夏の風
五月雨や松を見据える大本堂
皐月雨露にて光る三つ葵
新緑の草木もしなる遊歩道
霧雨に囲われ咲ける菖蒲かな
濡れ若葉落ちる雫が映す寺
霧雨の新緑霞む大光院
夕立の待って降りたる蝉時雨
菖蒲葉をすべり落ちては雨となる
人も刻も巡りて二度はなき一日(ひとひ)


   

文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その16

4月15日火曜日に賑賑しくも厳かに部結成がとりおこなわれました。喜ばしいことに今年度は4人の新入部員を迎えることができました! ぱちぱちぱち。これで太女文芸部は総勢8人となりました。これからも文芸少女として文芸に精進してまいります。これを機に太女文芸部の一年を紹介します。

 【2025年度の太女文芸部の活動予定】

  4月  部紹介でのショートコント披露(ブンガクのパロディ)

  5月  新歓ハイクde俳句 金山にのぼります! 山頂で句会をひらきます!

  7月 『せせらぎ』第189号発行
    太田高校文芸部との合同読書会&句会①
    群馬県高校生文学賞応募

 10月  高校生JOMO小説応募

 11月  群馬県高等学校総合文化祭参加

 12月  予餞会でのショートコント披露(ブンガクのパロディ)
         太田高校文芸部との合同読書会&句会②

  1月 『せせらぎ』190号発行

こうみるとわたしたちけっこう活発に活動してますね。この「冒険」も今年度は月に2回は更新したいとおもっています。ますますのご愛顧とご声援をよろしくおねがいします。

◆魔女と野獣、そして美女◆
野獣は森をさまよっていた。待っていたってやってくるもんじゃない。手にいれたければ行動あるのみだ、と気づくのに時間がかかりすぎたね。もうきょうが約束の日。きょうという日がおわるまでにそいつをじぶんのものにしなければ野獣は野獣としてじぶんの人生をおわるしかない。でも、と野獣はおもったりもする。野獣のままじゃいけないのか。野獣のままだってじつはなにもこまらない。そもそも人嫌いである。そいつがたたって野獣になってしまったおれだ。野獣になったことでひとからうとまれたっていたくもかゆくもない。だったらどうしておれは野獣であることをいやがるのか。それはおそらくじぶんがかつて野獣なんかでなかったという事実だろう。そんな事実にこだわるから、もとの姿に戻りたくてアクセクするんだ。でも、おれが野獣になってかわったことといえば、はっきりいってその外見だけだ。毛むくじゃらで筋骨隆隆たるからだ。牛だか獅子だかなんだかはっきりとはしないながら恐ろしさだけは満点の顔。あたまのりょうわきには角。両手には鈎爪。足には蹄。尻には尻尾。とことん醜いかもしれないけれど、うけいれてしまえばそれまでのことだ。でも、どういうわけか、こんな姿かたちになってから、野獣はじぶんが情けなくおもえてしかたないのだ。「山月記」という中島敦の傑作がある。李徴という小心者が虚勢をはりつづけて虎になってしまうはなしだ。李徴が虎になった自分を哀れむのは人間としての心があるからだ。野獣にはそもそも人間らしい心は微塵もなかったのだから野獣の心どおりの姿かたちになったってべつにどうでもよかったはずなのだ。でも、である。おれはやっぱり人間でこんな野獣になってしまってようやくその事実に気づかされたのだ。だから、やっぱり、できることなら、人間にもどりたい。
こりゃおぬし、ちょっとまたんか、と声をかけてきたのはチャコールグレイの薄汚れたマント姿の老婆である。なんだい、おれはいそがしいんだ。耳寄りのはなしがあるんだけどね。おれにとっての耳寄りな話ってのは真実の愛をてっとりばやく手にいれることしかないんだけど。おお、まさにうってつけだよ、おまえさん。まさか、ばあさんがおれの相手になろうってんじゃないだろうね、そいつはお断りだ、たとえそこに真実の愛があったっておれがうけいれられないよ。ふおふおふお、安心しなよ、あたしだっておまえさんみたいな野獣はおことわりだよ。ふん、おれだってなぁ、すきこのんで野獣やってんじゃないんだよ、いろいろ複雑な事情ってもんがあるんだよ、ほっといてくれ。いやいや、ほっとけないね、あんた、真実の愛がほしいんだろ? そうだけど。そいつを手に入れたら、あんた、もとの姿にもどれたりするんだろ? どうしてばあさんそんなこと知ってんだよ? よくある話じゃないか。よくあるの? よくあるよ、わがままな強欲ものがおちいる月並みな運命だよ。うるさいなぁ。でもさ、あたしがあんたのちからになってやるよ。どうやって? あそこに塔がたってるだろ? ああ、びっしりとイバラにとりまかれてるけど、あれお城の塔か。そうだよ、そのテッペンにさお姫さまがいるんだよ。お姫さま? そうだよ。そのひと、美人? あんた外見にこだわるの? いや。この期におよんで、外見はどうでもいいでしょ、あんた選り好みできる立場じゃないでしょ、だいたいじぶんはどうなのよじぶんは、野獣じゃないのさ。いまはそうだけど、呪いがとければ、ばあさんが腰を抜かすくらいのイケメンだぜおれは。あんたそんなことを鼻にかけてるから野獣になんかなっちまったんじゃないのかい? ぐ、でもさ、ばあさん、どうしてこんなところでポン引きみたいなことしてんだよ。ぐ。眠り姫のところに白馬に乗った王子はあらわれなかったのかよ、おれみたいな野獣をつかまえてキスさせようなんて、なんかウラがあるんじゃねぇのか? ま、このさいだから正直にいうよ、眠り姫に魔法をかけたのはあたしなんだけどさ、呪文をまちがっちゃって、百年たってもねむりからさめないんだよ、たしかにね、何人も王子がトライしたよ、でもさ、あたしの魔法はキスなんかでとけるものじゃなく、百年っていう時間が解決するものだったんだよ、だから、その百年目に姫の目のまえにいた男が姫の夫となってめでたしめでたしになるはずだったのに、百年目に運良くあらわれた王子のまえで姫は目を覚まさなかった、キスしてもだめ、なにしてもだめ、挙句の果てにその王子は頭がおかしくなって塔から身投げ、そんな噂がたっても勇敢な王子が何人もやってきたけど、みんな同じ運命さ、塔のしたのイバラのなかにはかぞえきれないくらいの墓標がたっている。なんでそんなことがおこったんだよ。だからあたしが呪文間違えちゃったんだってば。ばかじゃねぇの、魔女失格だよ。それよそれ。なに。だから魔女失格、かれこれ二百年たつんだけど、かけたはずの魔法が二百年たっても解けないときは魔女資格を剥奪されちまうんだよ。で、おれを利用しようっての? おたがいさまだろ、あんた切羽詰ってるよね、こころやさしい野獣だよね、そいつをためしたいわけだろ、いいチャンスじゃないか、いったいあんたいままでどんだけ時間を無駄にしたんだい? だからって、いきなり寝ている女にキスをして、おはようはじめまして、でお互いあいしあえるか? ひとめぼれってもんがあるだろう、この世にはさ。
野獣は魔女にいいくるめられたわけじゃなかった。なかばどうでもいいとおもっていたじぶんの行く末をなりゆきにまかせてみるのもいいなとおもったのだ。野獣は二百年生えつづけはびこっているイバラをものともせず塔のてっぺんにたどりついた。何人もの王子がかけまちがえた魔法のせいで身を投げた窓から野獣は塔のなかの部屋におしいった。そこには絶世の美女がよこたわっていた。二百年眠っているとはおもえないみずみずしさで真っ白な肌が内側からひかり輝いていた。野獣はひるんだ。こいつはむりでしょう、めざめたとたんおれの姿をみて卒倒しまずくすると死んでしまうかもしれない。それじゃあんまりだ。もちろんあんまりなのはおれなんかにキスされてめざめた姫だ。でもなんとかしてあげたいと野獣は心の底からおもった。そこにはそれまでの野獣とはちがう野獣がいた。こんな美女がイバラにまつわりつかれた塔のうえで眠り続けるなんてことがあってはいけない。そうおもったとき野獣の目から涙がひと粒こぼれた。理不尽な運命に対するやり場のない悲しみが結実したその水玉は宙にうかび、姫の顔近くまで浮遊し、そこではじけた。ぱちん。
姫は目のまえの野獣に驚愕し、ベッドからはねとんだ。ごろごろと壁際までころがり、壁にかけてある猟銃を手にとってずどんと一発野獣を撃った。野獣ははねとばされた。窓から転げた。死んでもいいや、彼女が目覚めたのだから。イバラの繁みにおちてゆきながら野獣はその姿を人間にかえた。野獣の心がうちころされて人間がもどったのか。イバラの繁みは王子をうけとめた。とげがささることはなかった。魔女がいた。よかったね。よくはない、おまえみたいな性根のくさった魔法使いがいるから人間が不条理な人生をいきねばならぬのだ。えっ、という驚愕の表情をのこしたまま、魔女は王子に切り殺された。
王子はふたたび塔のてっぺんの部屋にのぼった。姫はその王子をみて恋に落ちた。運命の人だとおもった。心なんてものは外見からそう簡単にわかるものじゃない。ふたりは恋に落ちた。そして、おたがいの心をわかりあって、ますます愛しあった。それでいいじゃないか。その愛は真実である。かわいそうなのは魔女だけど、それはそれでしかたない。