文芸部ブログ
文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その27
7月24日木曜日に太田高校文芸部との読書会の後、句会を開きました。
今回は通年通りに各自の俳句に投票してその得票数を競う形で行われました。俳句のテーマは「天」で、なかなか難しいテーマだと思ったのですが、顧問の先生含めその場にいた全員がおもいおもいに俳句を作っていました。
一人あたり二〜三句作り、作者名を伏せた状態でそれぞれの句を見て、各々がいいなと思った句に投票しました。王道のスタイルを貫いている句や意外性のあるユーモアな句まで様々な句ができました。
さて、一番票が集まったのは……!?
「銀世界交わり溶ける曇り空」
なんと我が太女の一年生の句でした! いやあ、素晴らしい。めでたいですね。
途中で時間が押してしまい、全員が句の説明をすることは出来ませんでしたが、とても有意義な時間になりました。太田高校文芸部の皆様、このような会を開いて下さり本当にありがとうございました!
冬休みには太女でお待ちしています。
《参加者の俳句》
笹の葉や流るる星の絶えず春 白い雲夏の訪れまた一つ
水鏡天を泳ぐは花筏 冬の陽の沈む早さやまた明日
稍寒や離れつつある背と高さ 風見えて夕立見上げ雷を
天翔る暗夜の遠く夜這い星 天井のシミを数える冬の暮
凧揚げの映ゆる休日天晴や イカ天の余韻丸めて飯を食む
映えるかなキラリ瞬き雲の峰 水田の早苗と踊る夏空よ
銀世界交わり溶ける曇り空 田園の水鏡に立つ雲の峰
雲間から零れる光光芒よ 瞳見てハッと気付いた青い夏
始皇帝ギャグで冷やし中華統一 朝顔は夕立時も天を向く
夕立は天の神様の腹の音 天泣の雲の上には宝石箱
夏夕に手を掲げれば天叢雲 天神にほおった銭を惜しむ春
天然の氷をうたう俗な店 天高く澄んでも低く老人星
赤日を馳せては仰ぐ星月夜 燦燦と花と会話の咲く春日
桜かな終始祝われ君は行く 天日干し梅を転がす祖母の背に
ふと転び意識は既に天の上
文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その26
7月24日木曜日、午後1時30分から、ご近所の太田高校で合同の読書会と句会が開催されました。毎年の恒例行事です。わたしたちは午後1時10分に太女のロータリーに集合。炎天下のアスファルト道を日傘をひろげ優雅に太田高校まであるきました。いや暑かったです。それにしても「交流会」っていいですよね。いろんなひとのいろんな意見を聞くことができて大変勉強になりますし、なにより「たのしい」! 今年は5月に大光院まで散歩してからの句会をひらいたので、お会いするのは二度目になります。太女は三年生が引退していますが、太田高校文芸部は三年生の部員もわたしたちを出迎えてくれました。
さて、まずは読書会の報告です。今回のテキストは、芥川龍之介の「アグニの神」です。舞台は上海の町で、日本領事の娘である妙子が恐ろしい印度人のお婆さんに攫われてしまっています。お婆さんは占い師なのですが、印度のアグニの神の言葉を聞くことで、占ったことの答えを知るのです。そこで、アグニの神は正体がないからなのか、妙子がお婆さんの儀式によって一時的に眠らされ、アグニの神の器みたいなのをやることで、妙子の口からアグニの神がしゃべり、お婆さんは答えを知ります。そこにある日、日本領事に仕える書生の遠藤が妙子を助けにやってきます。
ここから話が展開していくのですが、長くなってしまうので内容はここまでにします。
みんなの感想としては
「現実的でない」
「さすが芥川さん。裏の裏をいってくる」
「遠藤とお婆さんとの戦闘シーンの表現いい」
などがありました。感想を聞くのもとても楽しかったです。
少し、私の思ったことを書きます。読書会のとき、「お婆さんは妙子のことをいじめているのに妙子のことを『恵蓮』なんて可愛らしい名前で呼ぶなあ」って思ったんです。そこで調べてみたのですが、インド神であるアグニはブラフマーという神が創った蓮華から誕生した説があるらしいです。だから「恵蓮」に「蓮」の文字が入っているのかなと思いました。
このお話は児童向けのお話らしく(大正時代の児童ですが)、私自身、昔の本であるのにとても読みやすく感じました。普段、芥川龍之介の本を読まないという人も、このお話はサクッと読めるので、是非読んでみてください。
では、「句会」の顚末につづきます。
文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その25
7月23日水曜日、夏季前期課外がおわった酷暑の午後、学校の図書館に集まって、「せせらぎ」189号の合評会を行いました。
今回は、一年生にとって初めての「せせらぎ」でした。ですが一年生は臆することなく、自らの作品作りに真剣に向き合い、自分の思いを込めた個性ある物語を形成していました。二、三年生の作品は表現や登場人物の設定に深みがあり、一年生はその作品を見て先輩との差に焦る気持ちや、数年後にそんな深みと工夫の込められた文を作り上げられるようになりたいという憧れを感じることになりました。
合評会は共感や賞賛の声が行き交い、とても良い雰囲気で行うことが出来ました。また、その中にはアドバイスも多く、気軽にアドバイスをし合える所で、この文芸部の仲の良さや信頼を感じることも出来ました。
やはり「せせらぎ」を発行するだけではなく、合評会を開き文章の真意や工夫を共有し合うことで、お互いを高め合うことや仲を深めることに繋がり、よりよい作品作りをすることが出来るのだなと感じました。次回の「せせらぎ」発行時も、このような有意義な時間を過ごせたらと思っています。また、今回の合評会で学んだことを文章に活かせたら良いなとも考えています。
以下にしるすのは、作者のこだわりや作品の感想をまとめたものです。ネタバレの塊なので、まずは「せせらぎ」189号に目をとおしてからこちらお読みくださいませ。なお「せせらぎ」189号は「文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険その23」に掲載されています。
「ずっと、大好きだから」
主人公は学校にもまだ通っていない小さな女の子。子どもから見た家族の様子は難しくて、ママの入院のこともお葬式のこともよくわかっていないけれど、それでも新しい母親がママではないことがわかっている、そんな話。
「神様になった少年の話」
主人公は、神様になった少年とかつての友人たちをひとつにつなげる役割を持って物語を回しているんだ。登場人物の選んだお供え物の花の花言葉にまでこだわりがあって、カタクリは「寂しさに耐える」、黄色の水仙は「私のもとに帰って」、ハナニラは「悲しい別れ」、ネリネは「また会う日を楽しみに」、白百合は死者への捧げ物。未来への希望はあるけれど、すこし悲しい話。
「返事のない星」
ヒト、ニンゲン、とカタカナを使うことで主人公の人見知りな性格を表現している。たくさんの食べ物の描写をいれることで、食べることは生きることだから主人公たちが生きていることを表している。季節を表す表現を多く取り入れて、読者が主人公たちの感じる感覚を共有できるようになっている。
「身代わり姫と傀儡王」
史実をもとに考えた作品。史実ではすべてが悲劇に終わってしまったから、幸せな物語として書き上げた。登場する二つの国の元ネタの国に合わせた言語ベースで名付けていたり、長めの話だけれど内容を短く章ごとに区切っていて読みやすかったりと、中世ヨーロッパの雰囲気を楽しみやすい作品。
「愛しい悪夢の中で」
主人公は過去のトラウマから眠るたびに悪夢を見ている。そんな彼女が友人と夢の中でも会い、ほんの少しだけ悪夢を恐れなくなる話。人は誰しも多かれ少なかれ心に傷があって、他の人に傷を晒したりはしないが、それでも気づいてくれる友人との出会いが救いになる。
「思い出のお城」
昔に見た白いお城をもう一度見てみたいというおじいさんと、いったいどのお城のことなんだろうと考えるおばあさんの話。歳をとっても仲が良く、孫たちとも一緒に映画を見るような関係を築けていて、とてもほのぼのとした世界が形作られている。
「おかえり」
なによりも静寂を愛する主人公が、むかし美術館や図書館で会った「彼女」を探し求めてひとり山を登る物語。騒がしいことが嫌いな主人公が耳を澄ませてでも必死に「彼女」を探す姿勢には彼の執着とも言える愛が見える。彼が愛したのは「静寂そのもの」だった。
「一蓮托生」
一蓮托生は、もとは仏教用語で「死後に極楽浄土に生まれ変わったときに同じ蓮の葉の上に生まれ変わること」。転じて良いことも悪いことも運命をともにすること。最期に二人が進んでいった夜の海は、生き残ろうと足掻けば助かることだってできた場所。それでも進んでいった二人の覚悟と、互いへの愛情が表されている。
文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その24
◆『身代わり姫と傀儡王』番外編◆
せせらぎ189号掲載『身代わり姫と傀儡王』の、公爵が主人公に身代わりの許可を出す場面と、ヴィッツェル王家の行く末です。ネタバレだらけなので、本編をお読みでない方は、ぜひ部誌のデジタル版を先にご覧ください。
〈身代わり姫が身代わり姫になるまで〉
朝の身支度が終わるなり、エリーシアは私の手を引くと邸の客室に飛び込んだ。そこには準備の最後の仕上げのために一家全員が揃っており、「遅かったじゃないの」と眉を下げる母親に向かって彼女は叫んだのだ。
「わたくし、どうしても向こうで穏便にやっていける気がいたしませんの。アンヌに行ってもらうことはできませんか!」と。
時が止まった。凍りついた空気の中でエリーシアの母が初めに口を開き、
「あなた、この期に及んで何を――」
と云いかけたが、公爵はそれを手で制するなり、私をきっと睨めつけた。
「……ふむ、よかろう」
失神しそうになって私に抱き留められる公爵夫人(このとき私は頭が真っ白になっても身体は咄嗟に動かせることを学んだ)、両手をつなぎ合って喜びの余りくるくる踊り始める姉妹、再び私を穴があくほど睨んでから「よし」と呟いて部屋から出ていく公爵。すべてがめちゃくちゃだ。どこが「よし」なのか。何もよくない。
〈後日譚・史記は語る(八章相当)〉
『ヴィッツェル王国史』第二十一章は、次のような文言で始まっている。
「第二十一代国王・フリーデリケ一世。王国史上初の女王にして、革命の動乱を鎮めながら王政の瓦解をも防いだ賢君。即位の十六年前に勃発した革命から身を守るためシエルージュに亡命、現地で培った語学力と文化への理解は優れた外交の手腕として発揮された」
だが、その「亡命」の終わりがこんな身代わり結婚劇だったことを知る者は、今やシエルージュのシャンデル公爵家と、我がヴィッツェル王家に連なる者だけだろう。
フリーデリケは七十二歳で天に召されるまで、公私に渡って国のために尽くし続けた女王だった。宰相家の横領と謀反の証拠をしっかり押さえて取り潰し、王政を取り戻し、その権力を濫用することなく民のことを第一に考えて行動した。没後、王位は長年支え合った王弟ルドルフに再び渡るはずだったが、祖父はこれを辞退し、彼とエリーシア妃との間に生まれた長女フリーデリケが戴冠式に臨んだ。それももう、三十年近くも前のこと。今日の新年祝賀会では、そのフリーデリケ二世が年内の譲位を宣言する。次に王冠を戴くのは彼女の長男……自分だ。
「大伯母上、貴女が愛し守り抜いた国を、無事に次の世代へ繋ぐことを誓います」
軽やかなワルツが流れる宮殿――グルーフト(独語で「納骨堂」)城は偉大な姉弟の功績を讃えフリーデルフ城と改名された――の大広間で、誰にも聞かれないよう声を抑え、かの女王の肖像画を見つめながら呟いた。〈終〉