文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 特別篇
僕の大きな小人さん(全3話) 長山穂乃花
第2話
「リー、もう出てきても大丈夫だぞ」
言いながらバックヤードへのドアを開けると、まだ店内に並べていない苗の状態の植木鉢が並べられた棚の前にリーが立っていた。
それだけなら、特に問題はなかった。問題なのはその棚の植物が現在進行系でむくむくと育っていることだ。
「なにをしてるんだ?」
リーは俺がリーの血を拭ったタオルに水を含ませ、植木鉢の土の上に絞っている。その水を受けた植物がどんどん大きくなっていて、元の大きさのままの苗は数えるほどしか残っていない。
このままリーの好きにさせておくとバックヤードを未開のジャングルにされかねない。
リーはバックヤードに僕が入ってきたことに気づくと、小走りで駆け寄ってきて撫でろ撫でろと、頭に僕の手が届くようにかがんだ。
「……、…………これからは、なにか、やりたいことがあったら、……先に僕に確認してくれ……」
ズキズキと痛むような気がするこめかみを片手で抑えながらなんとか言葉を吐き出すと、僕が頭を撫でないことを疑問に思ったのか、リーが下から見上げてくる。
そっとリーの真っ白な髪に触れると、サラリと滑らかに流れていった。リーは嬉しそうに目を細めて、撫でられるのを楽しんでいる。
なんの悩みも憂いもなさそうなリーとは対照的に、僕は明日からもずっとリーが人間でないことを隠し通す自信を失って、今度こそ重たいため息を吐いた。
まあ、前途多難だと思えたこの生活も慣れてしまえば意外と悪くなく、それどころか数日も経てば楽しむ余裕さえ生まれてきていた。
「なあ、リー、そこの棚にある花瓶をカウンターに並べておいてくれるか?」
僕の頼みにリーはせっせとガラス製の大きな花瓶を棚から降ろしてカウンターに丁寧に並べていく。リーはずいぶんと体格が良いおかげで高いところまで手が届くうえに、かなり力持ちなようで花瓶に水が入っていても軽々と運んでいる。
僕にとっては大きな花瓶も二メートル超えのリーが持つと、だいぶ小さく見える。
リーは、初日のバックヤードジャングル化事件を起こした後は特になにか問題を起こすわけでもなく一生懸命に働いてくれている。
ちなみに未開の森と化したバックヤードの中でどうしてこんなことをしたのかと聞き取り調査をしたところ、僕を喜ばせたかったから、らしい。
純粋な好意に、それ以上の注意をできなくなってしまった僕が黙り込んでしまうと、不思議そうな顔をしたリーが僕の頭を撫でてくれた。髪の上を滑るリーの手のひらがとても大きくて、本当にコイツは僕の手のひらサイズだったのかと過去の記憶を疑ってしまった。
なんとなく悔しくなってリーの真っ白で血管の見えない手と、僕の日に焼けた手を重ねて大きさを比べてみた。大人と子どもくらいの差があったせいで、手のひら同士を重ねたままでもリーの手に僕の手が包まれてしまう。悔しいな。
「お、終わったのか。ありがとな、リー」
少しの間物思いに耽っていれば、リーはもうカウンターに花瓶を並べ終わったらしい。
もはや恒例となった褒められ待ちのリーの頭を撫でながら、レジ周りに散らかした請求書の束を片付ける。少し前にバイトで入っていた学生さんが辞めてしまったせいでここ最近はずいぶんと忙しかったが、リーも働き始めたことだし、かなり楽になった。流石に一人で店のことを全部やるというのは無理があったようだ。
「いつも助かるよ。リーのおかげで今日も早く帰れそうだよ」
さらり、とリーの絹糸のような真っ白な髪を最後に一撫ですると紙類をまとめて立ち上がる。
からん、からん、と来客のベルが鳴った。外の少し冷えた空気がぶわりと入り込んできた。
「いらっしゃいませ!」
夕日が差し込む入口に影が落ちる。かつん、とヒールの音が響いた。
「こんにちは」
入ってきたのは若い女性だ。仕事帰りなのかかっちりした印象の服装をしている。彼女は背中まで流れるつややかな黒髪を揺らして並んだ花々の中から目当てのものを探しているのか、棚の間を歩いていった。
「リー、バックヤードで待ってて。もう少ししたら一緒に帰ろうな」
初日の反省を活かしてお客さんが来ている間は、リーにバックヤードにいてもらうことにしている。そのおかげか、今のところ問題なく業務が進んでいる。初日の一連の事件は本当に心臓に悪く、寿命が縮む思いだった。できれば二度とあんな思いはしたくない。
リーはこくこくと頷いて大人しくバックヤードにつながる扉へ向かっていく。その背中は翼を全部服に押し込んだせいでずいぶんとゴワゴワしている。
本日最後のお客さんとなる女性は長い間、あっちの棚へこっちの花瓶へとふらふらと移動して、かなり悩んでいる様に見える。
「なにをお探しですか?」
女性が眉間に深くしわを刻んで、んー、と唸りながら考え込んでしまったので、沈黙に耐えきれず声をかける。
女性はハッとした表情をすると恥ずかしげに視線を彷徨わせた。
「すみません……。今日、恋人との記念日なんです。それで、お花をプレセントしたいな、と思っていて」
「素敵ですね、どんな花がいいんでしょうか」
「可愛らしい花がいいと思っていて。明るい色の」
それなら、といくつか女性ウケのいい花々が収められた花瓶を店の奥から運ぶ。
彼女は細い指先を花瓶の上で彷徨わせると、ひときわ大きなピンクのスプレーバラを手に取った。
「これにします」
ひゅ、と喉の奥で吸いそこねた息が変な音を立てた気がした。高いところから落とされるアトラクションに乗ったときのように身体の中身がゾワゾワする。
女性が手に取った花は数日前、リーが最初に巨大化させたバラだ。なんでこんなことに……と言いたくなるような、なんとも言えない気持ちになってくる。そもそも商品に混ぜるな、という話なのだが。
「か、しこまりました。ラッピングはどういたしますか?」
とにかく動揺を表に出すな、と社会人の根性で笑顔を保つ。こんなことに発揮したくなかった。
「リボンが付いている、これでお願いします」
「わ、かりましたァ……」
依頼どおりに水色の細いリボンで花束の様に束ねていく。しゅるり、と音を立ててちょうちょ結びにして、余った両端を棒に巻き付けてくるくるにした。
彼女は世間話が得意な質ではないらしく、作業中はずっと所在なさげに視線を彷徨わせていた。
「お待たせしました」
「わっ、ありがとうございます」
女性は宝物を手にしたように、そっと一輪の花を手にとって店を出ていく。
「ありがとうございました、またお越しください」
からんからん、とベルが鳴って、店内に夕方らしい静寂が落ちた。