文芸少女折下ふみかの華麗なる冒険 その59

◆合同読書会&句会の報告◆
2026年8月18日火曜日、午後1時30分から、太田高校図書室にて毎年恒例の読書会&句会が催されました。その日も太陽が照りつける酷暑でありましたが、わたしたち太女文芸部員はアスファルトの照り返しをものともせず、意気揚揚と太田高校までの道のりを歩いたのでした。太田高校文芸部員による、ご丁寧な出迎えを受けまして、わたしたちは校舎3階の図書室に到着したのでした。

第一部 読書会

テキストは村上春樹の「カンガルー日和」(村上春樹は『風の歌を聴け』で1979年に文壇に登場。「カンガルー日和」は『1973年のピンボール』(1980)と『羊をめぐる冒険』(1982)のはざま、1981年に『トレフル』という雑誌に掲載された初期の短篇。今回のテキストは初出作品に大幅な加筆が施された『村上春樹全作品』所収のもの)です。動物園のカンガルーが赤ん坊を産んだということを新聞の地方版で知った男女ふたりが、カンガルーの赤ん坊を見物するのに相応しい朝を待ち受けてひと月を無意味にやり過ごし(それが人生)、ようやく巡り来たカンガルー日和に勇んで動物園に出かけたものの、カンガルーの赤ん坊は赤ん坊らしくなく成長していて、なんとかその赤ん坊が母親らしいカンガルーの袋に収まるようすを見られてよかった(?)、というのがあらすじです。わたしは村上春樹の「僕」によるいろんな「決めつけ」が気になりました。ひじょうに訳知り顔なのです(たとえば「女というのは実にいろんな可能性を思いつくものだ」とか「これまで女の子と議論して勝ったことなんて一度もないのだ」とか)。「僕」が「女の子」全般をさもわかったような口ぶりなのです。私ならこんな「偉そうな」男の子のことは好きになれませんね。「カンガルー日和」がぜんぜん「カンガルー日和」じゃなかったという皮肉を描くことがテーマだとして、それが人生(繰り返しでてくる)だとして、それをなんとなくおしゃれな文体でなんとなくおしゃれな男女ふたりの物語として「僕」がしゃべっているのが「カンガルー日和」なのでは? というのがわたしの感想です。わたしは一人称で書くということの腹のくくりかたを学びました。一人称で書くということは「僕/私」の視点を逃れられないということです。語り手の個性が作品の価値になります。じぶんの感受性「だけ」にたよるには相当の覚悟が必要ですね。

 

 

 

 

 

第二部 句会

太田高校文芸部は句会を中心に活動しているということもあり読書会のあとに句会が催されました。お題は「まつ」。今年は5月の金山ハイキングのときにみんなで俳句を詠んでいるので、多少敷居は低くなりましたが、太女文芸部では小説を書くことが活動の主流なので、一句ひねるだけでもかなり手こずらされました。できあがった俳句をみんなで鑑賞し、よいとおもった作品に投票します。その結果が以下のとおりです(数字は得票数です)。太女生はひとり一句つくるのが精いっぱい。太高生は二句も三句も詠んでいて、さすがのひとことです。それでも太女生の作品が上位に支持されました。面目躍如ですね。わたしがなんとかひねり出したのは「夏祭マツモトキヨシで待ち合わせ」です。なさけねー。

12 待ちぼうけ釣り糸垂らし汗垂らし(太田)        
11 幾年も待つ君に吹くあいの風(太女)
10 アスファルト香り薫ればまつりかな(太田)
10 西日さす松の青さが夏惜しむ(太女)
 7 松かさを焚火にくべて芋を焼き(太田)
 7 浴衣着て待つ影遠く走りだす(太女)
 6 手には触れて影を待たずに日傘差す(太田)   
 5 末枯れや寂しくなった通学路(太田)
 5 冬木立手を擦りながら君を待つ(太田)
 5 雲払え窓から望む望月(太田)
 5 歳末に松の木の下で待つマッチョ(太田)
 4 降り注ぐ初音を待った花々に(太田)
 3 Yシャツをパタパタさせて秋を待つ(太田)
 3 親の帰宅茉莉花茶飲みぽつり待つ(太女)              
 3 待ち侘びて休載宣言告知の今日この頃(太女)
 2 マツコ・デラックスしゃべれぬ日かな(太田)
 1 朝三時星空の下トイレ待つ(太田)
 0 幸福に包まれながら松納め(太田)
 0 夏祭マツモトキヨシで待ち合わせ(ふみか)

私のお気に入りは「マツコ・デラックスしゃべれぬ日かな」と「親の帰宅茉莉花茶飲みぽつり待つ」です。「まつ」をマツコや茉莉花茶につかったりするセンスは秀逸ですよね。太女生は「待つ」や「松」を乗り越えられずにいます。もっと自由な発想で俳句を詠みましょう(わたしみたいにね)。